ベートーヴェンの第九とは




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第九が作曲されるまで


これほど雄大かつ荘厳な交響曲は他にはない。ベートーヴェンの芸術の極致である。
彼ほど音楽を愛し、自らの命を削るほど情熱を燃やし続け、理想の音楽を求めてやまなかった作曲家は二人と存在しないだろう。
しかし、歓喜あふれるこの第九が完成されるまでの道のりは、やさしくない。
酒に溺れ続ける父、幾度にも及ぶ失恋、英雄への失望、相次ぐオペラ上演の失敗、そして耳の障害と次々に襲いかかる苦難に一度は絶望し死も覚悟したが、音楽に対する情熱を失うことなく、まるで自らの運命に立ち向かうかのように作曲を続けてゆくのである。
この曲が作曲されたのは1824年、ベートーヴェンが54歳の時で、既に彼の耳は全く音を感じられず、さらに甥カールの親権問題と極度の内臓疾患に悩まされる苦悩の中で完成された曲である。
構想を開始してから約30年もの歳月を越えて結実された、交響曲と声楽曲の集大成とも言うべき作品なのである。
この点について、ベートーヴェンの伝記筆者ロマン・ロランは、『第九』は4つの源流の合流点であると述べている。
1.1812年にニ短調交響曲を作曲したいという意図があった。
2.1818年に、交響曲に声楽を入れようという計画があった。
3.青年時代から、シラーの『歓喜の頌歌』による歌曲を書こうという意志があった。
4.終楽章の有名な主題旋律が、青年時代から様々な形であらかじめ作られた。
の以上である。そしてそのことは彼の残した作品の中に見ることができる。
まずは1794年または1795年初めに作曲された歌曲『愛されぬ者の嘆きと愛の返答』作品118の主題、次に1808年に作曲された『合唱幻想曲』の主題である。
他にも、『第九』の構想の先駆となる様々な試みがなされているが、特に『愛の返答』と『合唱幻想曲』はほぼ同じであり、『第九』は非常に似ている。
これら3作品はいずれも3部分の構成で短調から長調へ、すなわち苦悩から歓喜への発展、いずれも主題を多かれ少なかれ変調していること、曲尾でクライマックスを形成していることなど、数多くの共通点を見ることができ、そして同時に『第九』に向かって発展の経過をたどることができる。
そしてこの交響曲がウィーンのケルントナートーア劇場で初演された時、耳が全く聞こえなくなっていたベートーヴェンは、聴衆の割れるような拍手に気付かず、聴衆に背を向けたままであったという。
そして5度の拍手をやめさせるため警官が入ったとも伝えられている。
ベートーヴェンは、もはや宮廷や教会に仕える職業音楽家ではなく、貴族の援助を受けつつ彼らを見下せた「芸術家」であった。
解りやすく心地よいポピュラーな音楽を量産するのではなく、音楽を思想表現の手段として開花させ、人間の心底にある魂の叫びを表そうとしたのである。
たとえ苦悩に押し潰されようとも、自ら勝利を勝ち取ろうとする彼の不屈の意志と、国境のない音楽、また目や肌の色、すべてを超越した人類愛の深さに魅せられ、そしてそれらが現代においてクラシック音楽で最大のポピュラリティを獲得している理由ではないだろうか。
“百万の人々よ!共に抱き合え、接吻を受けよ、世界の兄弟たちよ!”
彼のいう人類愛は、決して安っぽいものではなく、ベートーヴェンが命を張って最後に残してくれたメッセージであり、私たちはそれを数多くの人々に伝え、歓喜を分かち合える感動に涙するのである。
しかしベートーヴェンはきっとこの程度では満足していないだろう。
そうではない!と叫んでいる彼の顔が目に浮かぶようである。

聞き比べてみよう

『愛されぬ者の嘆きと愛の返答』作品118の主題  /  『合唱幻想曲』の主題  /  『第九』

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