ベートーヴェンの第九とは




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なぜ年末に第九を歌うのか


参考文献:平凡社「別冊太陽」 昭和62年1月5日発行
「藤田由之氏、諸井誠氏対談」を読んで再考:高崎第九合唱団
なぜ年末に歌うの?

毎年暮れになると、100以上の「第九」公演が日本各地で行われます。
ベートーヴェンの「第九」ほど、日本人の日常生活まで浸透したクラシックは珍しいですね。また日本人にとってベートーヴェンは、クラシック音楽の代表的な人物です。
この「第九」公演は、大都市圏のみならず、地方都市、農村部まで広がっています。「第九」を演奏しようとする発想が、市町村や学校、愛好者の単位で生まれているからです。(たとえば市制何周年記念とか何会館オープンなど。)
昔はプロのオーケストラが、年末の稼ぎの場として地方へ「第9」を持っていきました。しかし、合唱団を雇って連れて行ったのでは経費が高くつくので、合唱は地元で何とかならないかとプロのソリストのみを連れて共同作業で公演しました。時期的には、昭和30年代から40年代にかけての、サラリーマンが社会にあふれ暮れのボーナスが定着したころになると思います。
(昭和20年代までは多くは春に行われていたようです。)
こうすることによって、まだクラシックの音楽会に行ったことのない人に興味を持たせるだけでなく、合唱団員を通じて友人・家族・親戚と入場券を販売してもらえるので、安定した間接的財源にもなるのです。
なぜ第九を歌うの?
大正末期に新交響楽団(N響の前身)が結成され、当面の間「第9」を演奏できるのは、新響しかありませんでした。
戦後群馬交響楽団をはじめとする数々の交響楽団が誕生し、新響を目標にしたわけです。
そこでベートーヴェンやマーラー、ブルックナーの9つないし10程度の交響曲が演奏できないと社会的に認められないという風潮になったようです。
もっともモーツァルトの40やハイドンの100は対応しきれないでしょうから。
「第9」には作品としての大きさがあると思います。
演奏する側も、聴く側も、何か大変なものを演奏したとか聴いたという満足感がこの一曲で得られることに魅力があるのだと思います。
その満足感で年を越したいという気持ちが、日本人の事の仕切方に合っていると思います。
「3番〈英雄〉」で、すでに伝統を壊しているベートーヴェンが、さらに「第9」では第4楽章で声楽と器楽を統合してしまったところがすごいですよね。
また声楽のパートが独唱と合唱に分かれていて、独唱は確かに専門家の領域として書かれていますが、合唱は必ずしも専門家でなくても歌えるように書かれている点が、人々(聴く人だけでなく歌いたい人)を引きつける大きな原因だと思います。
「第9」は、多くの人を演奏の中に参加させる可能性を持っているわけで、それは歌詞を見てもベートーヴェンの狙いであったのかなと思わせます。
複雑な構造をもつこの交響曲に、あの親しみやすい旋律を入れたのは民衆の参加をベートーヴェンは望んでいたのかもしれませんね。
「おお友よ、このような悩みに満ちた音楽ではなく、歓びあふれる調べを皆で歌おうではないか!」

欧州の歌(EU欧州連合の歌) 駐日欧州連合代表部より

ベートーベンの第九交響曲最終楽章で用いられている「歓喜の歌」の主題が、1985年6月28日と29日の両日にミラノで開かれた欧州理事会において、 EUの歌として承認されました。この文脈においては、歓喜の歌は自由への賛歌でもあり、また、共同体意識と欧州連合を構成する27カ国の市民の平和に対する賛歌でもあります。さらには、自由意思によってEUに加盟しようとする他の国民をたたえる歌でもあります。

「歓喜の歌」はEUの行事の際に演奏されています。この欧州の第二のシンボルを普及させるために、ヨーロッパ・デーには多くのオーケストラが歓喜の歌を演奏します。


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