第1日 2007年8月24日(金)
16:00成田発 中国国際航空にて 18:35北京着 <時差-1時間>
バス2台に分乗し承徳市へ向かう途中、事故渋滞に巻き込まれ予定より3時間余り遅れ0:30頃承徳のホテル到着。深夜にも拘わらずホテルの暖かい出迎えを受け、遅い夕食後は、本番に備え早々に就寝する。
第2日 8月25日(土)
深夜に着いたにも拘わらず旅の疲れはどこへやら、皆元気にロビーに顔を揃える。交流会場となる承徳第一中学校文体館では、日本語を学ぶ学生達が輝く笑顔で迎えてくれた。午前中リハーサル、14:00から承徳市長の挨拶を皮切りに河北省承徳市歌舞団による民族音楽演奏「花好月圓」、満州族民族舞踊「梨花伴月」、高崎市吟剣詩舞道連合会による詩吟、剣舞が披露。休憩を挟み15:30から記念品贈呈式、承徳第一中学生徒による中国琴、舞踊。「高崎第九合唱団」は日本の歌(高崎市歌・さくらさくら・花・夏の思い出・ソーラン節・赤とんぼ・ふるさと)を歌い、最後は、懸命に覚えた中国語で会場の皆さんと「草原情歌」を合唱し感動の閉幕を迎える。
☆レセプション
ホテルで着替え、日本のお土産を携えレセプション会場へバスで向かう。市民交流懇親会は『山荘賓館大竜宮』で催され、円卓に承徳第一中学の先生、学生、現地ガイドさんが各々入り、次々と運ばれてくる御馳走に手を延ばしながら承徳や日本の事などを漢字の筆談も交えながら会話が弾む。「まだ日本を訪れた事はないが、将来は日本語の通訳を目指している」と言う学生に「ぜひ、日本に来て下さい」と伝え記念写真に収まった。
第3日 8月26日(日)
午前は、外八廟(がいはちびょう)から見学した。ここは避暑山荘を取り囲んでいる寺社の総称で、漢代式の宮殿建築を基調に蒙古、チベットなど諸民族の特徴を生かして造られ風格が感じられる寺廟である。普寧寺では、大勢の人々が50cmもあろうかと思われる線香をたき、普陀宗乗之廟では、願いを書いた幟が高く掲げられ、それに向かって祈っている姿に中国の人達の信仰の深さに驚き思わず一緒に合掌した。
午後は、清朝時代の離宮として中国に現存する最大の古代帝王の行宮である「避暑山荘」を廻る。承徳は夏が涼しく自然が豊かでいわゆる風光明媚であり、温泉もあった事から康煕帝は1703年ここに離宮を建てた。素朴で、山村野趣を基調として造られた王宮庭園であり、観光客の8割は中国各地からの人々だと聞いた。
夜は異国情緒溢れる「四海普寧ショー」を観に出掛ける。柔らかな女性たちの舞と、力強い男性達のパフォーマンスに感激の一夜であった。
第4日 8月27日(月)
北京へ向かうが、途中観光客が少なめの「金山嶺長城」へ立ち寄る。宇宙衛星からも見る事が出来るという「万里の長城」。石とレンガで積み重ねた城壁は、馬車も通れる程の幅がある。視界の全てに青い空と、どこまでも果てしなく続く緑の山々、その間を縫うように走る素晴らしい遺跡の上で「赤とんぼ」「草原情歌」を歌う。
爽やかで清々しい空気の中、静かに流れる歌声に「中国へ来た!」との思いで両手を挙げて深呼吸をした。車窓から山と草原、とうもろこし畑、随所に古い時代の民家のある集落が現れては消え去るのを素朴さと、優しさを感じながら目で追う。遠くに高い建物が見え始めるとにわかに街の様相に変わる。
北京市内に入ると一年後のオリンピックヘ向けて、ホテルなど高層ビルの建築ラッシュや、高速道路の整備で活気づいているが、その反面古い民家(胡同)などの取り壊しで埃の凄さに悩まされた。
今、北京は随所が修復中でシートが被り世界遺産の全容が見られないのは残念ではあるが、天安門広場の広さに驚き、故宮の壮大な建造物に圧倒された。一日ではとても廻りきれない程の広さなので、今回は日程の短さに涙を飲んだ。本場の「北京ダック」を味わい、隈取りも珍しい「京劇」の鑑賞と盛りだくさんの一日だった。
第5日 8月28日(火)
7:30ホテル出発 早朝の『天檀公園』を廻る。其処ここにグループを作り、ゆったりとした動作の「太極拳」、長いリボンを振り回しながらの踊り、音楽に合わせて足を踏み鳴らすタップの様なダンス、ボールや羽根を打ち合う運動など北京市民の朝の風景を楽しんだ。
緑の木々の間を抜けると、奥まった所に中国最大の祭壇とされる祈年殿(きねんでん)があり、丸い円形の建物で青を基調とした文様は実に荘厳であった。戻る途中、人だかりを覗くと、何と道端のタイルに字を書いている。バケツ様の中には「水」が入っていて、ホウキでその水を付けて漢詩を書いていたのだが、その見事な「書」に皆一応に感嘆の声、実に見事な「書」なのである。何と言っても中国は漢字の国と改めて感服した。空き地を探して『赤とんぼ』を合唱し、私達も仲間入りをした。
13:30北京発 中国国際航空にて 17:50成田着 22:30高崎着