ドイツ公演団長 田中清巳
1983年、高崎第9合唱団創立10周年記念としてNHK交響楽団を呼び第1の夢が実現した。当時まったくの自力で、日本のトップオーケストラが高崎へ来てくれるなどと誰が予測し得ただろうか。このイベントを成功させるためには実のところ3年の歳月がかかっていたのである。
高崎市立南小学校の体育館を練習会場として借りていたが、年が変わるとスポーツ優先となり、練習会場が音楽センター・中央公民館・天使幼稚園など一定しないジプシー練習が続いた。練習会場を一定させたい。ピアノが欲しい。これが第2の夢となった。しかしこの第2の夢は、たまさかの僥倖に恵まれ、意外に早く訪れた。高崎カトリック教会内にあった天使幼稚園が他へ移転したからだった。1985年、こうして私たちは現在の練習会場を毎週木曜日に借りることができ、第2の夢が果たされた。こうして私達の夢としていた目標が1つずつ達成されるにつれ、自身に裏打ちされた夢の膨らみはだんだん大きな望みへと変化していった。次のターゲットは何にするか?1986年9月19日、大町陽一郎先生のレッスン後、先生を囲んで一夕食卓を共にした時「先生、ドイツへ行って唱う事はできますか。」と聞いたところ、「それはもちろんできますよ。皆さんがそのつもりなら、私もお手伝いする事ができます。」との返事であった。先生の奥さんはドイツ人でありドイツでの活躍も盛んであった。
さっそく翌週9月26日の第9ニュースに『第9合唱、15年目はドイツへ行って唱おう』というキャンペーンを掲載した。これが『ドイツ公演』の最初の呼びかけとなった。そしてこの年は『ウィーンで集う第9コンサート』が《ウィーン第9チャリティー・コンサート実行委員会》の主催で12月4日にムジーク・フェライン(ウィーン楽友協会ホール)で行われ、高崎第9合唱団からも5人の団員が参加した。この出来事は私達の目標をより明確化することに大いに役立った事だった。《ドイツで第9を唱う事は、決して夢ではないのだ》と。
11月26日、第3回運営委員会では、さっそくこのドイツ公演についての協議が行われた。具体的な事はさておき、15周年記念には、『ドイツへ行って第9を唱おう』と言う意志決定が行われたのである。
翌1986年1月8日朝日新聞群馬版に、早くもドイツ公演が初夢としてトップを飾り、2月6日には群馬よみうりと矢継ぎ早にマスコミの話題となった。それでもまだ、一般には夢のまた夢と受け取られているのが実状だった。だが、役員会として正式に決定した以上もう後戻りは許されない。不退転の決意で1986年度総会に提案。満場の喝采で異議無く可決されたのが5月22日の事であった。
この総会の結果はすぐに、地元紙の上毛新聞によって報じられ『高崎第9合唱団・本場で第九高らかに』と大見出しの活字がおどった。しかし、マスコミの反響が大きいほどには、組織の動きは早くはなかった。むしろマスコミの伝搬力の前に圧倒されたか、責任の重大さに驚いたか、具体的な話になると容易には進まなかった。時はいたずらに過ぎ去って行く。
ヨーロッパでは『パリ200年祭』とかそういった類のイベントが数々ある。そういった話も随分と持ち込まれたが、私達が目指す国際音楽文化交流とは程遠い単なる祭への参加が多かったので依然として『ドイツ公演』は霧の中であった。
1988年に入って俄然目標が視野に入ってきた。長らくドイツにいた福田運営委員と、旅行社とのアプローチが偶然一致したのだ。1988年度の第1回運営委員会で『ハイデルベルクでの公演』が決定されたのは9月8日のことであった。そして11月6日の第2回運営委員会で公演団の組織が決められ、ドイツ公演責任者に田中清巳、旅行責任者に赤羽洋子、合唱団指導責任者に松原真介があたる事になった。それからと言うものは、全く未経験の国際交流の準備に没頭する日々が続いた。時には危惧や批判やお叱り言も頂戴しながら即戦即決。現地とのやり取りには、寸暇も置かぬ回答が要求されるため『国際間の取り決め』の厳しさを身を持って体験した次第。
1989年1月29日に、1月19日付でハイデルベルク市長より待望の『秋祭り文化週間』への招待状が届いた。公演日は9月29日とある。偶然であろうが、『9』にちなむ日ばかりで、勇躍団員募集にも力が入り始めた。
当初は120名を目標に募集を行ったが、いざ本当にドイツへ行くことに決まった途端、現実の厳しさが前面に出て、読みの甘さを思い知らされた。最低80名の催行人員確保のため旅行責任者の赤羽や、渡辺・松本・上野など東奔西走の有様だった。そして最終的にはきっちり80名の人員を揃えた熱意はまさに執念そのものであったろう。慈に深く敬意を表するものである。
ドイツへ行ってから帰るまでのことは周知の通りである。ハイデルベルクでの公演の成功と歓待、ウィーン市庁舎での第9合唱など、得難い機会の連続であった。何よりもこの公演旅行を通じ、人と人との交流の素晴らしさ、音楽文化の底深さを知ると同時に、若い人たちが確実に育っていることを実感し、高崎第9合唱団の未来が明るく輝いて見えたことが嬉しかった。