第6回ヨーロッパ公演は大成功しました
2009年10月28日終演
指揮:米津俊広 Toshihiro Yonezu

スロヴェニア・フィルハーモニーの指揮者で、今回の第九公演に尽力してくれています。フィルハーモニーのスポンサーはプジョーなため、他のオーケストラとの公演を模索してくれました。そのため、RTVオーケストラ+米津氏という組合わせとなりました。

1972年愛知県生まれ。愛知教育大学音楽科、同大学院を経て、東京音楽大学指揮科研究生にて指揮を学ぶ。指揮を広上淳一、紙谷一衛、湯浅勇治、曽我大介各氏に師事。またムジカ・リヴァ国際音楽アカデミー指揮マスターコース(2002、2003年)、プラハ、ウィーン、ブダペスト国際アカデミー指揮マスターコース(2004年)ポルトローシュ国際アカデミー指揮マスターコース(2005年)などのヨーロッパ各地で行われた指揮コースに参加。イサーク・カラブチェフスキー、イストヴァン・デネッシュ、ジョージ・ペーリヴァニアン各氏に師事した。
東京音楽大学在学中より指揮活動を開始。日本各地のオーケストラ、オペラ等の客演を重ね、2006年9月、スロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督ジョージ・ペーリヴァニアン氏の推薦により、同オーケストラ音楽監督のアシスタントコンダクターとして2008年9月まで同管弦楽団にて研鑽を積んだ。
2006年11月、スロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団特別演奏会「モーツァルトプログラム」を指揮してデビュー。その成功により即座に代役として、ワシントン・ナショナル交響楽団首席チェロ奏者、デイビット・ハーディー氏との協奏曲を含む、アメリカ大使館主催による特別演奏会を指揮した。12月にはリエカ・フィルハーモニー管弦楽団(クロアチア)に客演、地元紙「Novi List」にて「非常にエレガントで洗練された正確な指揮。調性、リズム、ドラマ性が強調され、聴衆が息をのむような極上なコンサートであった」と絶賛された。
2007年3月、5月、10月、12月にはスロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団「青少年のためのコンサートシリーズ」を指揮。4月には若い音楽家のためのコンサートに出演、演奏会の模様はスロヴェニア全土にテレビ放映された。同年4月にはリュブリャーナ音楽アカデミー管弦楽団のコンサートツアーに同行。ツアー最終日のベオグラード公演(セルビア)を指揮した。
2007年10月、急病のミラン・ホルヴァート氏の代役として急遽抜擢され、スロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会に登場。大成功をおさめ、またその鮮烈な定期演奏会デビューは、現地での新聞、ラジオでも紹介された。さらに2008年2月には、スロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団サラエボ公演(ボスニア・ヘルツェゴビナ)の指揮者に抜擢され、「"サラエボの冬"国際芸術祭」にて同オーケストラを指揮した。
2008年6月、リュブリャーナで開催された「ウニクム国際音楽祭」に登場。初演2作品を含む現代音楽プログラムでスロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団を指揮。7月にはスロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団国内ツアーの指揮者として、「ポヒン夏の音楽祭2008」を含む3都市にて同オーケストラを指揮。ロガルスカ・ドリーナ公演はスロヴェニア全土にテレビ放映された他、新聞、雑誌にも大きく取り上げられた。
2009年1月、リュブリャーナ音楽アカデミー管弦楽団定期演奏会に客演、3月にはサラエボ・フィルハーモニー管弦楽団にも客演した。現在2008-2009シーズンもスロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団を定期的に指揮している。
2008年9月、第28回マスタープレイヤーズ国際音楽コンクール(ヴェネツィア)の指揮部門にて、最高位並びにブルーノ・ワルター賞(Best Conductor & Bruno Walter Prize)を受賞。2009年3月にはスロヴェニアにて活躍する外国人に贈られる賞「Guest star 2008」の文化部門の4人にノミネートされた。
平成19年度、文化庁新進芸術家海外留学制度研修員。
ソプラノ:豊嶋起久子(ウィーン在住) Kikuko Teshima
東京芸術大学を卒業後、明治・安田生命クオリティーオブライフ文化財団より助成を受け、ベルリン国立音楽大学、文化庁派遣芸術家在外研修員としてミュンヘン国立音楽大学、カールスルーエ国立音楽大学オペラ科、さらに(財)ロームミュージックファンデーション特別音楽研究生としてウィーンで研鑽を積む。
芸大在学中に、ドミンゴコンクール日本代表、国際コンクール「新しい声」アジア代表として世界大会で奨励賞を受賞。日本人としては最年少であった。
1998年にはすでに、ブダペスト・ヴェローナ国際コンクールで第1位を獲得、ブダペストのハンガリー国立歌劇場「ラ・ボエーム」、ムゼッタ役で初々しくも華やかなヨーロッパ・デビューを飾った。そのとき、ウィーン国立歌劇場の名誉会員で宮廷歌手の称号をもつクリスタ・ルートヴィヒに高い評価を受けた。
1999年サントリーホールオペラ「愛の妙薬」では唯一の日本人ソリストとして、ジュゼッペ・サッバティーニ、エヴァ・メイらと共演。
27歳で伝統と格式を誇るプラハ国立歌劇場での「蝶々夫人」の主役(タイトルロール)に抜擢され、大成功を収める。チェコの巨匠指揮者故ボフミール・グレゴルに「やっと本物のマダム・バタフライ(蝶々さん)に出会った」と言わしめ、みずみずしい歌唱と豊かな表現力、傑出した存在感で上演を成功に導き、プラハ国立歌劇場の人気プログラムとなる。4シーズン連続の蝶々さんを一人で務め、劇場史初まって以来の名誉を受けた。
2004年には同劇場での「トゥーランドット」に出演、役柄(ローレン)デビューとなったリューでも高く評価された。2007年「蝶々夫人」の主役でオランダ各地、ベルギーでツアーを行い好演。また、ポーランドのOperaNovaでは25年ぶりの「蝶々夫人」新演出に招待され大成功を収め、地元テレビ、ラジオなどメディアで大きく採り上げられた。2008年、名古屋フィルハーモニー交響楽団主催プッチーニ生誕150年記念公演でも満場の喝采を浴び、京都では京都創生座の世界初演・新作楽劇「倶利伽羅忠度」にゲスト出演し、クラシック音楽と日本古典芸能の架け橋的役目を果たした。同年、スロヴェニア国立マリボール劇場から招待され、「蝶々夫人」の主役を務め、劇場の音楽監督に「若き日のミッレッラ・フレーニのようだ。」と高く称賛された。また、北九州国際音楽祭には、2006年から3年連続で招待され、いずれも好評を博している。
これまでにバイエルン国立歌劇場管弦楽団、メトロポリタン歌劇場管弦楽団、ケルン放送交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、ザクセン州「エルツ山地」交響楽団などと共演。多くのオーケストラと共演し、ヨーロッパを中心に、オペラ、ドイツリート、オラトリオなどと、精力的に活動している。2008年より北九州市文化大使も務める。北九州市民文化奨励賞受賞。ウィーン在住。
メゾ・ソプラノ:サーニャ・アナスタシア Sanja Anastasia
テノール:石原克美(日本在住) Katsumi Ishihara
東京音楽大学オペラ科・オペラ研究科首席卒業
在学中より頭角をあらわし、現役学生でありながら一流プロにまじって、ベートヴェン『第九』、グノーの『ミサ・ソレムニス』のソリストをつとめるという異例の抜擢を受け、大変な注目を浴びる。日伊音楽コンコルソに入選後、ミラノに留学、グワリーニ氏、フェラーロ氏に師事、研鑚を積み、トレヴィーゾ国際コンクールで入選、同市のテアトロにモーツァルト『コシ・ファン・トゥッテ』のフェランド役で出演。帰国後、『ラ・ボエーム』(ロドルフォ)、『カルメン』(ドン・ホセ)、『魔笛』(タミーノ)、『椿姫』(アルフレード)、『ロメオとジュリエット』(ロメオ)、また二期会40周年記念公演『こうもり』(アルフレード)、『ジャンニ・スキッキ』(リヌッチョ)、などで活躍、好評を博す。
その他に、ヘンデル『メサイヤ』、ヴェルディ『レクイエム』、第九などのコンサートでも活躍している。テレビ朝日の「題名のない音楽会」ほかテレビ出演も多く、若手テノール・リリコ・レッジェーロとして最も将来を嘱望されている存在。
96年7月にはファーストリサイタルを津田ホールにて開催、97年には東京音楽大学創立90周年記念オペラ『ラ・ボエーム』(ロドルフォ)に出演、99年、2000年と続けて紀尾井ホールで開催されたリサイタルでも、2003年の浜離宮朝日ホールで開催されたソプラノとのジョイントリサイタルでも、日本人離れした豊かな声量と柔らかな美声で、満員の聴衆を魅了した。その類稀な声質は、むしろ海外の専門家たちから驚きと賛嘆をもって評価されている。
前イタリア大使にも絶賛され、イタリア大使館にて各国大使をはじめ各界を代表する方々の前で歌い、他にもフィンランド、ロシア、ルクセンブルグ、スウェーデン、サウジアラビア、メキシコ、スロヴェニア、タイ、ベルギー等の大使に招かれ、それぞれの大使館において、その美しい歌声を披露した。また、美智子皇后様のご臨席を賜った折に、アリアをご拝聴いただき、皇后様のピアノ伴奏でうたわせていただくという栄誉も賜った。
2001年、02年の春には、沖縄市音楽祭のオペラに、当たり役でもある『ラ・ボエーム』(ロドルフォ)、『椿姫』(アルフレード)役で参加、沖縄市民の心に多大の感銘を残した。
また、ベルギー大使館で催されたチャリティーコンサートや日本YMCA主催のオーストラリア大使館でのチャリティーコンサート等にも、依頼を受け参している。
最近では、2006年、07年のライスボウルの開会式で「君が代」を歌い、07年の川崎で開催されたアメリカンフットボールワールドカップでは、日本を代表して国歌を独唱した。
現在、東京音楽大学講師。日伊協会会員
バリトン:平野和(ウィーン在住) Yasushi Hirano
1977年東京都生まれ。1996年日本大学芸術学部入学、声楽を末芳枝に師事。大学在学中から多くのオペラに出演し、「フィガロの結婚」タイトルロール、「コシ・ファン・トゥッテ」のドン・アルフォンゾ、ストラヴィンスキー作曲「夜鳴き鶯」の皇帝など数々の舞台で活躍。
2000年同大学を首席で卒業、卒業時に学部長賞受賞、また第70回読売新人演奏会に出演。同年オーストリア・ウィーン国立音楽大学声楽科へ入学し、声楽をロートラウト・ハンスマンに師事。2003年同大学声楽科終了後、同大学大学院リート・オラトリオ科、オペラ科へ入学。リート・オラトリオ解釈をチャールズ・スペンサー、ロベルト・ホルに師事、エリー・アーメリング、ヴォルフラム・リーガー、ルドルフ・ヤンセンのマイスタークラス受講、またオペラ解釈をミヒャエル・テンメ、レオ・プレットナーに師事。2007年オペラ科を主席で卒業。2003年オーストリア共和国奨学生。
オペラではバロックから現代にいたるまで広範囲をレパートリーとし、ペルゴレージ作曲「奥様女中」のウベルト、「フィガロの結婚」のアントニオ、「リゴレット」のスパラフチーレ、オルフ作曲「賢い女」の浮浪者などを好演。2003年には韓国・統営で行われた?伊桑国際音楽祭に参加、同作曲家の歌劇「蝶々の未亡人」の老召使役で出演。2004年ドイツ・ラインスベルク室内歌劇場国際コンクールで入賞、同オペラ主催の夏の音楽祭で世界的演出家ハリー・クプファー演出の企画に抜擢される(ヘンデル作曲「オットーネ」、エミレーノ役)。また、2006年夏には世界最高峰のザルツブルグ音楽祭(ヘンツェ作曲「午後の曳航」、ゲルト・アルブレヒト指揮)、ブレゲンツ音楽祭(オッフェンバッハ作曲、喜歌劇「青ひげ」)にソリストとして相次いで出演。
2005年国際アダ・サリ声楽コンクール(ポーランド・ノヴィサッチ市)2位(男声最高位)、ならびにクラックフ国立歌劇場特別賞を受賞し、2006年2月同劇場に「ラ・ボエーム」コリーネ役として招待される。
コンサート歌手としてもバッハ、モーツァルト、シューベルトなどのミサ・カンタータ・オラトリオのソリストを数多く務め、ロンベルク作曲「鐘」(シラー作詞)、ヘルツォ-ゲンベルク作曲「キリストの誕生」、ヴンダラー作曲「四季」、カイザー・レオポルト作曲のミサ曲など、無名の作品の再演にも度々参加。2006年4月にはブルーノ・ヴァイル指揮の下、ベオグラードフィルと共演(モーツァルト「戴冠ミサ曲」バス・ソリスト)。2009年1月にはウィーン楽友協会大ホールでベートーヴェン作曲第9交響曲のソリストとして、オーストリア、トーンキュンストラーオーケストラと共演。リート歌手としても2004年4月ウィーン・コンツェルトハウスで行われた「ドボルザークの夕べ」、2007年5月同ホールでの「シューベルトの夕べ」の出演をはじめ、オーストリア各地、ドイツ、イタリア、オランダ、ポーランド、チェコ、日本など幅広いコンサート活動をしている。
2007/08シーズンよりオーストリア・グラーツ歌劇場と専属歌手として契約。「魔弾の射手」の隠者として、センセーショナルなデビューを飾る。他には同オペラの森林保安官クーノ、「仮面舞踏会」のサムエル、「ヴォツェック」の徒弟職人などを好演。
2008/09シーズンからは、ウィーン・フォルクスオーパーと専属歌手として契約。「トスカ」の看守、「ラ・ボエーム」のコリーネ、「カルメン」のスニガなどで出演。
また2008年7月には、グラーツで行われるフェスティヴァル・Styriarteにて、ニコラウス・アーノンクール演出・指揮の公演「イドメネオ」に海神の声として出演し、絶賛を浴びる。
今後は2010年5月、新国立劇場での新演出企画「影のない女」(若杉弘指揮)の冥界の使者で日本デビュー、またウィーン・フォルクスオーパーでの新演出企画「リゴレット」にスパラフチーレで出演予定。
オーケストラ:スィンフォニチニ・オルケステル・RTVスロヴェニヤ / シンフォニーオーケストラRTVスロヴェニア Simfoni?ni orkester RTV Slovenija
訳すとRTVオーケストラとなり、RTVはラジオ&テレビの意味で、国営放送局オーケストラとなると思います。1955年に創設された、スロヴェニア放送所属のオーケストラである。創設当初はリュブリャナ放送交響楽団という名称であり、のちに現在の名称に改名した。着実に力をつけ、1984年から1985年にかけてアメリカで行った演奏旅行では好評を博した。レパートリーの幅は広く、バロックから現代音楽までのオーケストラ曲のみならず、オペラ、オラトリオ、カンタータ、映画音楽などもレパートリーに組みこんでいる。また、スロヴェニアの作曲家のの作品にも力を入れており、新作初演を数多く手がける他、優秀な作品に賞を与えて録音し、放送している。現在では他のジャンルの音楽家と共演する「クロスオーヴァー・プロジェクト」を進行させ、また、ノヴィ・サド音楽祭、ワールド・ミュージック・デイズ・イン・ザグレブ、ルガノ・フェスティバル、トープラッハ・グスタフ・マーラー・フェスティバル、ベオグラード音楽祭などに参加している。
歴代の音楽監督は、ウロシュ・プレボルシェック(1955年 - 1966年)、サーモ・ヒュバッド(1966年 - 1980年)、スタニスラフ・マークラ(1980年 - 1981年)、アントン・ナヌート(1981年 - 1998年)、リオール・シャンバダール(2000年 - 2003年)、デイヴィッド・デ・ヴィリアーズ(2003年 - 2006年)、エン・シャオ(2006年9月 - )現在の音楽監督エン・シャオは中国出身の若手指揮者である。これまでに、ウォルター・プルースト、アンジェラ・ゲオルギュー、マルチェロ・アルヴァレス、ミッシャ・マイスキー、アルド・チッコリーニ、ラドゥ・ルプーらと共演している。
放送交響楽団という特性上、本拠地は放送局であるが、コンサートは主にリュブリャナ市内のCankarjev Dom内のコンサートホール、Gallus' Hallにて行っている。1,545人収容のホールで、内装は白を基調にまとめられ、3階席まである比較的大きなホールである。
演奏スタイルは、アントン・ナヌート指揮による録音を聴く限りでは、全体的に「中の上」といったレベルである。木管楽器が健闘しており、弦楽器もよく歌っている。時折金管楽器の響きに荒さがみられる。しかしながら、放送局のオーケストラの名に恥じず、演奏には非常に安定感がある。
合唱 高崎第九合唱団 The Chorus of Beethoven's Symphony No9 Takasaki

1974年ベートーヴェンの第九交響曲を演奏するために創立。以来、年末に群馬交響楽団と共に「第九」を群馬音楽センターの舞台で歌い続けている。
1989年当時西ドイツのハイデルベルク市の聖霊教会において、日本の第九コーラス初となる海外公演を行い全国的な注目を浴びる。1995年高崎市の姉妹都市であるチェコのプルゼニ市では、市制700周年記念事業として第九を公演。1998年ドイツのニュルンベルク市では、グスタフ・アドルフ教会において第九を公演。2002年ポーランドのザブジェ市では、文化庁の「地域文化国際交流事業」をはじめとする両国の各種国際交流事業として第九を公演。首都ワルシャワでの交歓演奏会、アウシュヴィッツ強制収容所跡地でのミサ曲の献曲など随所において歌による人類平和と国際文化交流を訴え続けた。2006年リトアニアの首都ヴィリニュス市では、リトアニア国立オーケストラと第九を公演。歌による独立を果たし、合唱が世界遺産に指定された合唱聖地バルト三国で、様々な音楽交流を積極的に行った。2007年高崎市の友好都市である中国の承徳市では、日中国交正常化35周年事業「高崎ウィークIN承徳」にも出演した。2008年10月これらの音楽による平和活動と国際交流活動が評価され、群馬県国際交流賞を受賞。
国内では「高崎の第九」コンサートのほか、市役所・県庁・病院・商業施設等でのクリスマスコンサートにも出演。2007年5月ロシアフェスタと2008年5月メイコンサートにおいてオペラを披露。
自ら運営・販売・法手続きも行う市民コーラスとしての活動は高く評価されている。団員は年齢も職業も様々であるが、ベートーヴェンの音楽を愛し「第九」の人類愛の精神を歌い、音楽による平和と国際文化交流を目指すことを共通の信念として活動を続けている。初心者でも入団でき、年末のコンサートやヨーロッパでも歌える音楽の街にふさわしい合唱団である。
2006年10月NPO法人化し登記された。合唱団がNPO法人になることは未だ珍しく、「地域のために、世界のために、平和のために、歌を歌う法人」として注目されている。