出演者 プロフィール

高崎第九合唱団ロゴ

高崎の第九のホームページ
ニュース・トピックス
団員募集
練習会場
コンサートへ行こう
合唱団について
リンクと外部情報
高崎第九合唱団のあゆみ
指導者のあゆみ
イベントスケジュール
第九演奏会のあゆみ
メドレーのあゆみ
メイコンサートのあゆみ
海外公演の記録
チケットセンター
ベートーヴェンについて
ベートーヴェンの第九とは
たいむずのページ
携帯サイト

第26回演奏会 1999年12月18日


指揮者 円光寺 雅彦(MASAHIKO ENKOJI)

1954年東京生まれ。桐朋学園大学指揮科卒業。指揮を斎藤秀雄、ピアノを井口愛子の各氏に師事。
1980年、ウィーン国立音楽大学に留学し、オトマール・スウィトナーに師事する。
1981年9月帰国後、東京フィルハーモニー交響楽団副指揮者に就任。
1986年より同交響楽団指揮者となり、1991年3月までその任を務める。
1989年より1999年3月まで、仙台フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者として活躍。
オーケストラの飛躍的な発展に貢献し、その実績は高く評価されている。
東京特別公演のライブをはじめ、円光寺・仙台フィルの演奏は多数CD化されており、その演奏からもオーケストラと指揮者の密接な関係を伺うことができる。
1998年5月より、札幌交響楽団正指揮者の任にあたり、新たな職務に全力で取り組んでいる。
2000年3月には、東京公演(サントリーホール)を指揮して好評を博し、札幌交響楽団と円光寺の取り組みは、高く評価されている。
他にも、NHK交響楽団、読売日本交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団をはじめ、日本の各オーケストラに客演し、着実に活動範囲を広げている。
海外でも、1992年、スメタナホールにて、プラハ交響楽団の定期演奏会に客演したのをはじめ、1994年には、BBCウエールズ交響楽団、1995年にはドミトリー・キタエンコからの招きにより、ノルウェーのベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団、1998年1月にはフランス・ブルターニュ管弦楽団に客演し、それぞれの地で、その深い音楽性と適確な指揮で、多くの聴衆を魅了した。
国際的指揮者として、現在最も期待されている指揮者である。

(2000年8月現在)

高崎第九唱団との共演は、1997年、1999年に続き3回目である。


ソプラノ 足立 さつき(SATSUKI ADACHI)

武蔵野音楽大学卒業、同音楽院修了。
二期会オペラスタジオ第30期修了。二期会会員。
1986年第3回ニッカ椿姫新人賞第1位を受賞。
1987年「椿姫」のヴィオレッタ役でオペラ・デビュー。
以後、「こうもり」のアデ-レ、「ヘンゼルとグレーテル」のグレーテル、「メリー・ウィドー」のヴァランシェンヌ、「フィガロの結婚」のスザンナなどを演じ、清冽な声と華のある舞台姿でいずれも好評を博している。
また、「マイ・フェア・レディ」「サウンド・オブ・ミュージック」などのミュージカルや、東芝日曜劇場「冬の歌声(アリア)」のテレビ・ドラマのヒロイン役もこなし、ジャンルにとらわれない幅広い活動を行っている。
1991年より文化庁派遣研修員として、ミラノへ2年間国費留学を行い、ミラノ音楽院にてカルラ・ヴァンニーニ、アルベルト・ソレジーナの各氏に師事。
この期間に「ボルツァーノ音楽祭」でフォーレ「レクイエム」を、翌年にはカール・オルフ「カルミナ・ブラーナ」を、またウィーン・フィルのメンバーと共演し好評を得ている。
同年、ファースト・アルバム「La promessa~約束~」(Sony Records)よりリリース。
1992年村松賞を受賞。
帰国後の1994年1月にはウィーン・シュトラウス・フェスティバル・オーケストラとの全国公演にソリストとして参加し、絶賛を浴びる。
1996年7月ポニー・キャニオンへ移籍、ソロ・アルバム「夢のあとに」をリリース。
同年12月31日-翌1997年1月1日の両日、ザルツブルグ・モーツァルテウム大ホールにて行われた、ウィーン・オペレッタ・オーケストラのジルベスター及びニュー・イヤーコンサートに出演する。
1998年9月「夕鶴」モスクワ公演で、“つう”役に抜擢され、作曲家團伊玖磨から大絶賛された。
1999年2月アクロス福岡・世界の巨匠シリーズにて、ハイドン「天地創造」をオンドレイ・レナルト指揮/九州交響楽団と共演、また1999年4月には新国立劇場「こうもり」にアデーレ役で出演、高い評価を得る。
リサイタル、オペラ、「第九」やオラトリオをはじめとする主要オーケストラとの共演等、今後ますます活躍が期待されるソプラノ歌手である。

ジャパン・アーツ


メゾ・ソプラノ 小畑 朱実(AKEMI OBATA)

東京芸術大学卒業。同大学院修了。
大学学部在学中に安宅賞受賞。
オペラ研修所第8期修了。瀬山詠子氏に師事。
全日本学生音楽コンクール全国大会第1位。
第3回奏楽堂日本歌曲コンクール第1位。
山田耕筰賞、木下賞受賞。NHK洋楽オーディション合格。
文化庁派遣芸術家在外研修員としてミラノに留学。
マリア・ミネット、ラウラ・ロンディの両女史に師事。
オペラでは「チェネレントラ」と「カルメン」のタイトル・ロールをはじめ、「フィガロの結婚」のケルビーノ、「アドリアーナ・ルクヴルール」のブイヨン公妃、「コシ・ファン・トゥッテ」のドラベッラ、「ウェルテル」のシャルロッテ等数多くに出演しいずれも高い評価を得ている。
ロームミュージックファンデーションの音楽特別在外研修生としてミラノに在住。
ローマ・サンピエトロ寺院及び、パンテオンではロッシーニ「ミサ・ソレムニス」のソリストとして、またラクイラ歌劇場においては「オテロ」にエミリアで出演し、ともに高い評価を得た。
帰国後はフリューベック・デ・ブルゴス指揮読売日響「はかない人生」(ファリャ)にカルメラで出演し、好評を博す。
1996年文化庁芸術祭オペラ研修所20周年記念公演「アルバート・ヘリング」でナンシー役では可憐さを、1998年新国立劇場・二期会共催公演「ヘンゼルとグレーテル」のゲルトルート役ではより人間的な魅力を効果的に表現した。
1999年6月には新国立劇場・二期会共催公演 原嘉壽子作「罪と罰」(初演)のドーニャ役を好演。
コンサートにおいても「第九」をはじめ「メサイヤ」、「ミサ・ソレムニス」(ロッシーニ)等のソリストとして活躍するほか、日本をはじめとする現代曲等も得意としている。
また、テレビ朝日「題名のない音楽会」やNHK-FM等の放送にも多数出演するなど、幅広い分野で活躍している。

二期会会員


テノール 経種 廉彦(YASUHIKO IDANE)

東京芸術大学声楽科卒業、同大学大学院修了。
オペラ研修所第7期修了。NHK洋楽オーディション合格。
1988年イタリア声楽コンソルソにおいて金賞を受賞。
1991年より文化庁芸術家在外研修員としてイタリア、ミラノに留学。
C.メリチャーニ氏のもとで研鑚を積む。
帰国後二期会公演「こうもり」にゲスト歌手として出演。
またプッチーニの「グロリアミサ」、ベートーヴェンの「第九」などのソリストやコンサートでも活躍している。
須賀靖和、原田茂生、黒田清、U.ガルディーニ、C.メリチャーニの各氏に師事。
読売新聞社主催新人演奏会、練馬文化センター新人演奏会、東京文化会館推薦音楽会に出演。
また「コシ・ファン・トゥッテ」(フェランド)、「ドン・ジョバンニ」(ドン・オッターヴィオ)、「魔笛」(タミーノ)、「後宮からの逃走」(ベルモンテ)、「祝い歌が流れる夜に」(中川義男)、「チャールダッシュの女王」(エドウィン)、「こうもり」(アルフレード)、「夕鶴」(与ひょう)などを演じる。
1996年にはニッセイ・オペラシリーズ若杉弘指揮「火刑台上のジャンヌ・ダルク」に出演し、大役である裁判官をつとめ喝采を浴びた。
1997年には新国立劇場会場記念公演「ローエングリン」でブラバントの貴族役、続く1998年9月にも新国立劇場・二期会共催公演「アラベッラ」のエレメル伯と、大舞台で存在感を示している。
当団の田村稔先生と同級生だったので、演奏会後のレセプションにおいて、二人は久しぶりの再会を楽しんでいました。

二期会会員


バリトン 多田羅 迪夫(MICHIO TATARA)

東京芸術大学卒業、同大学院修了(在学中に安宅賞受賞)。
第16回ジロー・オペラ賞受賞。
伊藤亘行、中山悌一の諸氏に師事。
1973年イタリアに留学。カンポガリアーニ、ペリッツォーニの諸氏に師事。
その後ドイツでE.グリュンマー、O.クラウスの諸氏に師事。
1975年よりハイデルベルク市立劇場にて活躍。
1977年ドイツのゲルゼンキルヒェン市立劇場と契約、数々のオペラやコンサートに出演。
M.フレーニ、R.パネライ等と共演し絶賛を博す。
帰国後、1983年二期会公演『ジークフリート』のアルベリッヒを、さらに1985年新日本フィルオペラティックコンサート『ヴォツェック』(小澤征爾指揮)のタイトルロールを見事に歌い、その精緻な音楽が好評を得る。
その他、『ラインの黄金』、『ジークフリート』のアルベリッヒ、『神々の黄昏』のハーゲン、『ペレアスとメリザンド』のゴロー、『エレクトラ』『俊寛』『天守物語』等で絶賛されている。
1990年二期会創立40年記念公演と、フィンランドのサヴォリンナ・オペラ・フェスティバル参加『お蝶夫人』でシャープレスを演じ国際的評価を得た他、『フィガロの結婚』のフィガロ、続く1991年の『リゴレット』でもタイトルロールを演じた。
また同年10月にはサヴァリッシュ指揮『魔笛』に弁者役で唯一日本人男性ソリストとして出演し高い評価を得、第一人者としての地位をより一層揺るぎないものとした。
また1992年二期会オペラ『ドン・ジョヴァンニ』のタイトルロールを演じ、同年『さまよえるオランダ人』『オィディプス王』、1994年『トスカ』のスカルピア(以上小澤征爾指揮)、『フィデリオ』のドン・ピツァロ(朝比奈隆指揮)等、いずれもドラマティックで力強い演唱を聴かせた。
1996年7月二期会オペラ『ワルキューレ』で難役ヴォータンを演じた。
1998年『魔笛』弁者役で新国立劇場に出演。
1999年サントリーホールで再度『ヴォツェック』(演奏会形式)タイトルロールをつとめ、さらに洗練され充実した歌唱と演技力を披露した。
1999年、日本オペラ協会創立40周年記念公演『修禅寺物語』(初演、委嘱新作)で夜叉王に主演、芳醇で心理の綾まで表現する万全の歌唱で観客を魅了した。
コンサートへの出演も多く、『第九』、バッハ『受難曲』『カンタータ』、ハイドンのオラトリオ、モーツァルト『ミサ曲』『レクイエム』、ブラームス『ドイツ・レクイエム』、マーラー『千人の交響曲』等をレパートリーとし、高い評価を得ている。

二期会会員

高崎第九合唱団との共演は、1995年(第22回)、1999年(第26回)以来の3回目となる。


管弦楽 群馬交響楽団 (GUNMA SYMPHONY ORCHESTRA)

1945年「高崎市民オーケストラ」を母体として、2年後に「群馬フィルハーモニーオーケストラ」と改称してプロ楽団としての第一歩をふみだした。
55年には“群響”をモデルに制作された映画『ここに泉あり』でにわかに全国的に注目を浴びる。
56年、群馬県が初の「音楽モデル県」に指定され、61年には、高崎市に群馬音楽センターが設立され、幅広い活動が展開された。
63年に財団法人群馬交響楽団と改称。
以後「関信越音楽協会」の設立で全国規模の演奏活動に拡充された。
“群響”は日本の交響楽団の中で、NHK交響楽団に次ぐ歴史を持ち、日本の交響楽運動の先駆として、地方の音楽文化の普及と振興のために地道な演奏活動を展開し、群馬県の文化の象徴としての地位を確立した。
また、レコーディングや文化庁移動芸術祭の公演を積極的に行うとともに、全国各地での演奏会など意欲的な活動を展開している。
89年には郷土文化育成に貢献があったとして、(財)財石川文化財団より山本有三記念「郷土文化賞」を受賞。
94年5月には「プラハの春国際音楽祭」、「ウィーン芸術週間」から同時に招待を受け、4カ国を巡る海外公演を実現。各地で高い評価を得た。
同年、内外に及ぶ音楽活動が評価され「日本文化デザイン賞」を受賞。
95年「第4回日本生活文化大賞特別賞」を受賞した。

群馬交響楽団


編曲者 富澤 裕(YUTAKA TOMIZAWA)

東京声専音楽学校(現、昭和音楽芸術学院)卒業。同校オペラ研究科修了。
在学中より多くのオペラ公演に参加し、音楽の現場を学ぶかたわら、作曲を故西崎喜太郎、青島広志の両氏に師事する。
作品は合唱曲、オペラ等の声楽曲が多いが、室内楽曲やオーケストラ曲も発表しており、編曲やオーケストレーションでも好評を得ている。
また日本語による教会音楽の創作に携わり口語訳聖書をテキストとする2曲のカンタータを発表。
東京・大阪をはじめ各地の教会で上演されている。
現在、神奈川フィル、ニューフィル千葉等のオーケストラで編曲を担当する他、
音楽之友社の雑誌、教育音楽に作曲と編曲を連載しており、その多くがすでにCD化されている。
昭和音楽芸術学院、及び昭和音楽大学付属音楽教室講師。
日本フィル協会合唱団指揮者。
主な作品として、アルビノーニの主題による幻想曲、オペラ「アルスメトリウム現象」、カンタータ「エマオの旅人」、混声合唱のための「倫理的一貫性に欠ける合唱曲」、女声合唱のための「練馬大根のはなし」、村野四郎氏の詩による歌曲集。
1989年以来、高崎第9合唱団のメドレー曲の編曲を行っており、団員にとっては練習の楽しみの一つになっている。