-2006年リトアニア第九演奏会-
バルトの人々が歌う理由
バルトの三国は、言語も人種も民族も宗教も違う。しかし悲運な歴史は共通だった。隣国との併合・割譲、ナポレオン軍による占領、帝政ロシアによる占領、ドイツ・ナチによる占領・旧ソ連による統治と何度も国旗が変わる。1863年ついに言語を禁じられ読むことも話すことも。そしてすべての書物が焼き尽くされた。だが人々は愛する言葉を忘れず、愛する国を忘れなかった。百年以上も愛する言葉を「歌を歌う」ことによって守ってきた。そしてその歌が民族の結集となり独立の原動力となる。
日本人を世界で最も尊敬する
敗戦後の日本の経済復興は驚嘆に値する。国連総予算の2割を負担し、自動車・電化製品は世界中で見かける。またバルトの国々にとっては最も脅威だった隣国ロシアを、世界で唯一破った国である。そして決定的なことは、1940年7月リトアニアの当時の首都カウナス日本領事館の杉原千畝領事代理が、ナチスと日本の枢軸国同盟に基づく指示に背き、ユダヤ人に日本通過ビザを発行。約6000人がシベリアから日本を通過し、第三国へ出国。後にイスラエルを建国する。国と国の戦争のさなかに、人として行動した日本人。今でも領事館は残り、杉原通りも世界中の観光客が行きかっている。
歌を歌い独立を果たす
1988年広大な野原では国民の3分の1が集まり独立を誓い歌い続けた。1989.8.23三国の3つの首都(当時連邦制)を人の鎖が結びつける。延長600km、200万人が歌い続けた。独立にはいつも血が流される。世界が湾岸戦争に釘付けになっていた1990年、国連軍創設決議を否決した旧ソ連は、空挺部隊・最新鋭戦車をバルト三国の街に。しかしバルトの人々は銃を手にしなかった。犠牲者は出たが人々は手を取り合い三国の言葉で歌い続けた。1991年8月20日三国はついに完全独立を世界に宣言した。武力では解決できない何かを、歌は成し遂げた。世界の平和は、実は武力がなくても果たせるのではないだろうか。
バルトの国で歌う
バルトの人々は多くが歌や踊りに関わっており、広大な野外会場で数十万人規模の「歌と踊りの祭典」を三国それぞれ開催している。この三国の「歌と踊りの祭典」は、ユネスコ世界遺産(無形文化遺産)に指定され、世界中の合唱者たちの聖地である。2002年ポーランド・旧アウシュヴィッツ強制収容所でも歌った高崎第九合唱団が、この地を選んだのはごく自然なことである。2004年EU(欧州連合)に加盟し、そのEUの象徴歌(EU憲法上の国歌)であるベートーヴェンの「第九」を歌うのである。リトアニア共和国の首都において国立オーケストラが出迎える最高の待遇だった。