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≪Praha≫

2日目  9月23日(土)  チェコ《プラハ》
プラハへようこそ


プラハ城

プラハ城たび重なる火災や侵略にもかかわらず、聖ヴィート大聖堂の華麗なゴシック様式から、最後のハプスブルグ家の君主ルドルフ2世の採用したルネサンス様式まで、プラハ城の教会、礼拝堂、大広間、塔などに各時代の建築様式が残っている。城は1918年にチェコスロバキア共和国の大統領官邸が置かれ、1995年現在はチェコ共和国のV.ハヴェル大統領の官邸になっている。


聖ヴィート大聖堂

聖ヴィート大聖堂正面大聖堂の中を歩くと、1000年の歳月が一瞬に呼び戻される錯覚をおぼえるだろう。ネオ=ゴシック様式の最高建築の意匠、礼拝堂、聖人の遺物やルネサンス絵画、そして現代彫刻の作品など、さまざまな宗教美術の一端に触れることができる。時間をかけて、宝石を散りばめたような聖ヴァーツラフ礼拝堂の豊かな装飾をゆっくりと楽しみたい。

    
カレル橋   モルダウ川

カレル橋から見たプルタヴァ(モルダウ)川カレル橋は1741年まで、ヴルタヴァ川で唯一の橋であった。長さ520m、幅9.4mのレンガ造りの橋は、1357年、カレル4世の命によりそれまで使用していたイイトカ橋の代わりとして建てられた。見事な橋の彫像は、残念ながらすべて複製で、オリジナルは、国立博物館のピダリウムに保存されている。カレル橋


ムーハ(ミュシャ)

アルフォンス・ミュシャというフランス語読みをした方がわかりやすいかもしれない。パリでサラ・ベルウナールのポスターを作成して一躍有名になったこのアールヌーヴォーの代表的な画家は、チェコの人なのである。聖ヴィート教会のステンドグラスや、市民会館ホールの装飾など、プラハに彼が残した作品は多い。

    
聖ニコラス教会    小地区

装飾技術の粋をきわめた聖ニコラス教会は、1703年から半世紀をかけて建設された。設計はバロック建設の大御所ディーンツエンホーファー父子で、彼らの代表作ともいえる。ことに内陣の天井を覆う壮大なフレスコ画は圧巻。所蔵される各時代の第一人者の作品ばかりである。


旧市庁舎前時計

からくり時計時計は1490年、天文学者でもある時計職人ハヌシュの製作と言われている。伝説では、この傑作ができあがった時、完成したメカニズムが余りにも素晴らしかったため、市議会議員たちは同じ時計を他の地域で造られないようにと、彼の目を潰したとされている。何度も修復され、機械部分はJ.ターボルスキーが16世紀に完成させたものである。
縦に2つの円が並んでおり、それぞれが作られた当時の宇宙観(天動説)に基づいた天体の動きと時間を表している。上が地球を中心にまわる太陽と月、その他天体の動きを示し、年月日と時間を示しながら1年かけて1周するカレンダリウム。下は獣の12宮と農村における四季の作業を描いた暦で、1日に1目盛り動くプラネタリウム。毎正時になると、円盤の上にある天使の像の両脇にある窓が開き、カレンダリウムの脇にいる死神が鳴らす鐘の音と共にキリストの12使徒が窓の中にゆっくりと現れては消えてゆき、最後には時計のいちばん上に現れる鶏が鳴き時を告げる。


ヴァーツラフ広場

ヴァーツラフ広場も市場で賑わう広場というより“幅の広い通り”といったほうがぴったりくるのは、長さが250mあるのに対し、横幅は60mしかないからだろう。もともとは馬の買い付け市場としてはじまり、現在は、ホテル、レストラン、ショップなどが並ぶ消費経済の中心地となっている。
広場で目にとまる大きな騎馬姿のヴァーツラフの像は、19世紀後期のチェコ彫刻の第1人者であるJ.ミスルベクの作品。少し歩いたところにもチェコ守護聖者像や、前政権である共産党の犠牲者を追悼する記念碑がある。
広場はまた、チェコ史上、多くの重要な出来事の舞台となったところでもある。ビロード革命の発端となった、学生のJ.パラッキーが焼身自殺した(1969)のもここ。この抗議集会が1989年11月に開かれ、やがて共産党政権を打倒する革命へと連鎖していった。


3日目  9月24日(日)  チェコ《プラハ》
プラハの街並み


ベルトラムカ荘

ベルトラムカ荘モーツアルトは、『フィガロの結婚』を熱狂的に受け入れてくれたプラハの人々を愛し、しばしばプラハを訪れてはここベルトラムカに滞在した。
この館はもともと17世紀にビール醸造家が建てたもので、その後何度も持ち主が変わったが、基本的には夏の館として利用されてきた。やがて、1784年にオペラ歌手のヨゼフィナ・ドシュコヴァーに買い取られ、若きモーツアルトと親交のあった彼女は、彼がプラハを訪れる際はここに滞在させた。
彼はここで創作に励み、オペラ『ドン・ジョバンニ』の序曲はここで作曲されたものだ。完成は開演日の前日で、オーケストラに配られた楽譜のインクはまだ生乾きだったという。
彼が最後にここを訪れたのは、1791年。ここでヨゼフィナに捧げるアリアを1曲完成させたのち、5カ月後の12月5日、35歳の生涯を閉じた。
現在はモーツアルト記念館として公開され、彼の作曲した曲を聴きながら愛用の品々や楽器、遺品などを見て回ることができる。


ドヴォルジャーク博物館

ドボルジャーク博物館の中庭赤と黄土色の色彩、重層する屋根ーバロック建築には数多くの傑作があるが、プラハで宗教建築以外の最高峰といわれるのがここドヴォルザーク博物館。
1720年、巨匠K.I.ディーンツェンホーファーによって建てられた。当時はヴァツィーノフのミフナ卿の別荘で、ミフナ・サマー・パレスとして知られるようになる。のちに、バロック様式の門を挟んで隣接するホテル・アメリカにちなんで“ヴィラ・アメリカ”とも呼ばれた。とくに19世紀、館や庭園は風化が進み、以降内装とともに何度も修復されている。庭園のM.ブラウンの工房が製作したという像や花瓶は1735年頃のもの。1階大広間の天井や壁の絵は18世紀のフレスコ画で、J.F.スコルの作品だ。この大広間は、しばしばリサイタルなどに利用されていたが、現在では、19世紀の作曲家、A.ドヴォルザークの作品の譜面や解説書、写真、ピアノやヴィオラ、自身が使用した机などが展示されている。


ヴィシュフラド

ヴィシュフラドのスメタナのお墓現在のプラハの繁栄は既に7世紀には伝説の王妃リブシュによって予言されていた。その王妃が住んでいたのがこのヴィシュフラド(プラハ旧城)だといわれている。現在では昔の面影は見る陰もないが、この城がチェコの人々にどれだけ親しまれ、心のよりどころとなっているかは、スメタナの『我が祖国』を聴けば理解できるかもしれない。第1楽章『ヴィシュフラド(高い城)』とはこの事で、ここの城の栄枯盛衰にまつわる数々のエピソードが語られる。伝説の吟遊詩人が奏でる神秘的なハープの音が、この城を見事に表現している。第2楽章の『モルダウ』でも、モルダウ川の流れがプラハに近い辺りでヴィシュフラドの旋律が鳴り響く。
この城に残る最も古い建物は、聖マルティンのロトウンダだ。1100年頃に建てられたものといわれ、プラハでも最も古いロマネスク建築の一つだ。
ここには墓地があり、チェコの文化を担った人たちが多数埋葬されている。


4日目  9月25日(月)  チェコ《プルゼニ》


聖バルトロミェイ教会

街の中心にある聖バルトロミェイ教会1320年から1470年にかけて建てられた、共和国広場の中央に周囲を圧してそびえ立つゴシック様式の教会。建物自体もかなり大きいのだが、共和国広場をとりまく建物群が割と小柄なため、余計にこの教会は大きく見える。建物を取り巻く人々や周囲を走るバスやトラムが、まるで小人の国のもののように見える。暗灰色の建物自体の巨大さもさることながら、やはり目につくのは尖塔だ。その尖塔の高さは103mで、チェコ共和国にはこれより高い塔は他にない。建てられて以来現在に至るまで、プルゼニのシンボルである。


Austria
《Salzburg》

6日目  9月27日(水)  オーストリア《ザルツブルグ》

Mirabellgarten
ミラベル庭園

ミラベル庭園からザルツブルク城を臨むフィッシャー・フォン・エルラッハによって今日の形に設計された、その名の通り(ミラベルとは“美しい眺め”)美しい庭園。ギリシャ神話にヒントを得た石像(バッカス、ジュピター、ダイアナ、アポロ、一角獣に小びとまで)や花壇、噴水、庭木が美しく配置されている。ここからの旧市街方面の眺めは最高。
宮殿は、大司教ヴォルフ・ディートリッヒが愛人サロメ・アルトと子供たちのために1606年に建てたもの。1818年の火災の後現在の形に修復された。内部の彫刻のある階段は『天使の階段』と呼ばれ、1723年にラファエル・ドナーによってつくられた。階段は2階にあるマルモアザール(大理石の間)に通じる。当時モーツアルト一家も演奏していたこの大広間は、今では室内楽の演奏会や、結婚式に使われている。この建物は市長公邸でもある。

Dom
大聖堂

774年に聖ヴィルキルが創建。1181~1200年に後期ロマネスク様式に改装された。その後16世紀に火災にあい消失、第2次世界大戦でも被災したが、1956年に修築された。内部は大理石、絵画で飾られ、半球天井には十字架が組み込まれている。
パイプオルガンはヨーロッパ最大といわれ、6,000本のパイプが使用されている。ドームの入口の右手の階段には、大聖堂の建物を展示したドーム博物館がある。マリア像が立つ、大聖堂前の広場Domplatzでは、1920年、フーゴ・フォン・ホフマンスタール作の戯曲『イェーダーマン』が上演され、これがザルツブルグ音楽祭の始まりとなった。音楽祭と縁の深い、名指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの葬儀もこの大聖堂で行われた。

Mozarts Geburtshaus
モーツアルトハウス

モーツァルトハウスゲトライデガッセに、赤白の細長いオーストリア国旗が下がっている黄色の建物がある。1756年1月27日の夜、ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトはこの家の4階で誕生した。ザルツブルグの宮廷管弦楽団のバイオリン奏者だった父レオポルドとその一家は、1773年の秋にマカルト広場の家に引っ越すまでこの家で過ごした。4階にはモーツアルトの使用した楽器、自筆の楽譜や手紙、モーツアルと一家の肖像画などが展示されている。2、3階にはモーツアルテウム財団の演劇、オペラ史等に関する特別展示がある。

《Salzkammergut》
オーストリア《ザルツカンマーグート》

Pfarrkirche Mondsee
モントゼーの教区教会

モントゼーの教会映画『サウンド・オブ・ミュージック』で、主人公マリアとトラップ大差の結婚シーンに出てくるのが、モントゼーにある教区教会。2本のクリーム色の塔が印象的なゴシック様式の教会だ。サウンド・オブ・ミュージックツアーも必ず立ち寄る。



《Paris》

7日目  9月28日(木)  フランス《パリ》

Notre-Dame de Paris
ノートルダム寺院

ノートルダム寺院をバックにフランス中世文化の美しい結晶、ノートルダムを訪れた人は、中世を暗黒時代(ダークエイジ)などとは呼べなくなる。ここに見られるすべてが、豊かな精神文明の存在を語っているからだ。1163年、パリ司教シュリーによって起工され、1320年頃完成したこの寺院は、カペー王朝の最盛期に造営されたもの。近郊のサン・ドニ寺院の内陣(1144)に始まるゴシック様式を飛躍的に発展させ、建築はもとより、彫刻やステンドグラスにおいても、美術史上極めて重要な位置を占めている。ノートルダムは『我らの貴婦人』=聖母マリアに捧げられた教会だ。マリア信仰はここでは神の母への賛歌となり、石に刻まれ、ステンドグラスに昇華していく。フランス革命の時には、正面の門(寺院入口)の上に立ち並ぶ旧約聖書の諸王の像が、フランス歴代の王と間違われて破壊されるなど多大な被害を受けた。しかしその後、ナポレオンがここで戴冠式(1804)を行い、『ノートルダムのせむし男』で有名なユゴーの小説『パリのノートルダム』(1831)によって寺院の重要性が見直され、19世紀半ばには大修理が行われた。

Tour Eiffel
エッフェル塔

エッフェル塔は美しいネ時は19世紀末、フランス革命100周年を記念して第3回パリ万国博が行われた。目前に迫る20世紀のハイテクのシンボルとして、鉄の記念碑を建てようと、あまたの案の中からギュスターヴ・エッフェルの設計案が採用される。ところが、誉れ高き歴史の町パリに、グロテスクな鉄の塊を建てることへの反発は予想以上に激しく、おもだった知名人の猛反発にあって建設工事は中断。それでも、他により優れた代案もないため、20年の存続期限をもって工事が再開され、1889年5月6日に公式オープンした。
入場料収入は600万フランにも及び、建設費総額780万フランの77%を回収し、大成功をおさめた。20年目の1909年には、パリ市議会によりいったん取り壊し決議がなされた。しかし、相前後して発明された無線通信機に利用価値があるとわかり、1916年、アメリカ大陸との交信に成功するや、存続が決定的になった。
1988年1月より、ナトリウム電球356個による新方式の夜間照明を受けて、夜のエッフェル塔は一段と美しくなり、幻想的ですらある。

Arcde Triomphe
凱旋門

凱旋門の周りは車がいっぱい1805年、フランス軍は皇帝ナポレオンの指揮のもと、オーステルリッツで劇的な逆転勝利を勝ち取った。この勝利の記念としてナポレオンは、当時5本の大通りが集まっていた星型広場(エトワール)に、大凱旋門の建設を命じる。設計はシャルルグラン。しかし、工事は遅々として進まず、ナポレオン失脚後から王政復古までの4年間工事は中断するが、30年後、王政のルイ・フィリップ時代にやっと完成した。完成を待たずに亡くなったナポレオンは、死後19年たった1840年、イギリスより返還された棺となってセント・ヘレナ島より帰国し、大セレモニーとともにやっと下をくぐることができた。
そして20世紀、第1次世界大戦中倒れた身元不明の戦死者が1人、150万人にものぼる戦死した兵士の代表として直下に葬られ、それ以後は、祖国のために命を捧げたすべての人々の共通の記念碑となった。
シャンゼリゼ大通りから見て右側には、彫刻家リュードの傑作『ラ・マルセイエーズ』(1792年義勇軍の出発を描くレリーフ)、左側はコルトー作『1810年の勝利』、裏側にまわるとエテックス作の『抵抗』と『平和』などの彫刻があり、見る人に感動を与えている。


8日目  9月29日(金)  フランス《パリ》

Versailles
ヴェルサイユ宮殿

絢爛豪華で広大なベルサイユ宮殿1682年、ルイ14世はヴェルサイユ宮殿の建設を決心し、邸宅とするだけでなく、行政機関もここに置くことにした。つまり、ヴェルサイユはフランス革命までフランスの首都の役割を果たしたわけだ。設計はル・ヴォー、マンサール、内部装飾はル・ブランが担当した。「有史以来、最も大きく、最も豪華な宮殿を!」という王の望みに従って、日夜人夫が労働にいそしみ、完成には50年を要した。投入された費用は、現在のお金に換算すると20億フランにものぼるという。宮殿内はどこもきらびやかで、ため息の連続。太陽王ルイ14世の権力がどれほど強大だったか、その場に立つだけで感じとれる。中でも壁一面に鏡が貼られ、見事なシャンデリアがかかった鏡の間、王の部屋、王妃の部屋、オペラの間は必見。

Palais de Chaillot
シャイヨー宮

セーヌ川をはさんでエッフェル塔と向かい合って建つ半楕円形の建物がシャイヨー宮。もとは、パリ万国博の会場として使われ、現在は博物館と劇場、シネマテークが入っている。中央の階段を上るとテラスがあり、エッフェル塔、シャン・ド・マルス公園に向かって広がる展望は感動的!


チェコ総合インフォメーション

正式国名チェコ共和国
首  都プラハ通  貨チェココルナ【】 1=3.5円(’95)
補助通貨はハレル【Haler】
面  積78,864km2
人  口1,036万人時  差日本より-8時間、日本の正午がチェコの午前4時。(4~9月は夏時間-7時間)
人  種チェコ人(94%)、スロバキア人
(4%)
言  語公用語はチェコ語(ドイツ語もOK)電  気220V
祝 祭 日
1月 1日元旦7月 6日ヤン・フスを偲ぶ日
3~4月中旬イースター10月28日独立記念日
5月 1日メーデー12月24日クリスマス・イブ
5月 9日開放記念日12月25日クリスマス
7月 5日宗教記念日12月26日ボクシングデー
チェココルナ= 

オーストリア総合インフォメーション

正式国名オーストリア共和国RepublikAustria
首  都ウィーン通  貨シリング【S/】 1S=11円(’95)
補助通貨はグロッシェン【G】
面  積約84,000km2
人  種ドイツ人 スロベニア人、マジャール人時  差8時間
言  語ドイツ語電  気220V
祝 祭 日
1月 1日元旦6月15日聖体祭
1月 6日三聖王の日8月15日聖母被昇天祭
4月16日復活祭10月26日建国記念日
4月17日復活祭月曜日11月 1日万聖祭
5月 1日メーデー12月 8日聖母無垢受胎の日
5月25日キリスト昇天祭12月25日クリスマス
6月 4日聖霊降臨祭の日曜日12月26日聖シュテファンの日
6月 5日聖霊降臨祭の月曜日

シリング=

フランス総合インフォメーション

正式国名フランス共和国
首  都パリ言  語フランス語
面  積551,602km2通  貨フランス・フラン【F】、1F=19円(95)
人  口5,661万人

人  種フランス人電  気220V
祝 祭 日
1月 1日新年、パリ・ダカール6月 4日聖霊降臨祭
1月 6日主顕節7月中旬ツール・ドーフランス
2月復活祭47日前の火曜日7月14日革命記念日

マルディ・グラ8月15日聖母昇天祭
3月22日から4月25日迄の春分以降最初の満月
の次の日曜日
9月末~秋の芸術祭

復活祭11月 1日万聖節
5月 1日メーデー11月11日第1次世界大戦休戦記念日
5月 8日第2次世界大戦 休戦記念日12月25日クリスマス
5月中旬フランス選手権 (テニス・オープン)12月31日大晦日
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