16:30 休息 | イブニングコールまで、みんな部屋でシャワーを浴びてひと休み。 | ||||||||||||
17:30 発声練習 シュミット・へナー・ハウス | 現地留学生とドイツの合唱団の応援も得て、仲良く発声練習。 ソリストも指揮者も揃って旅の疲れも忘れて一心に声を出した。
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20:00 ゲネプロ オーケストラとの練習 | 〔聖霊教会〕 歩いて移動。夜になるとさすがに寒い。 通訳をはさんでの指揮者の指導である。 言葉の通じないハンデも何のそので、翌日の練習はしなくて良いことになる。 [できがなかなか良かったらしい。]
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21:00 夕食 〔ツム・リッター〕 | コーラスの練習のあと、聖霊教会の前にあるツム・リッター(騎士の家・16世紀にできたルネッサンス末期の代表的な住居)というレストランで、ゆっくり夕食をとり旅の疲れを癒す。 名産のワインやリンゴジュースを飲みながらおしゃべりをしているうちに時間が過ぎてしまう。 役員さんや指導者の先生は次の日の本番のことで頭がいっぱいらしく緊張気味であるが、「歌がうまくできたので、次の日のレッスンはしなくてもOK」と聞いて、みんなはかまわずお酒を飲んで前祝いをしている。
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22:20ホテルに戻る ハイデルベルク | ホテルエクセルシオールは街外れのこぢんまりとした新しいホテル、[ビジネスホテルといった感じ。]街中にあるオーガスタホテルは古風でなかなかきれいな建物だったが、バスルームはその古さを隠しきれない感じ。 早速絵はがき用の切手を買う人もいた。 ヨーロッパのホテルは日本と違い、まず自分の部屋を見つけてドアを開けるまでが一苦労。エレベーターも勝手がわからず、4F・5Fまでヒーヒー言いながら階段で運動してしまった人も多かった。 とりあえず無事ついてめでたしめでたし。「バタンキュー」の見本のようにみんなおとなしく眠りについた。 |
<ハイデルベルク城> 神聖ローマ帝国フリードリッヒⅠ世の弟コンラートが、1226年ころ市の南東のケーニッヒシュツール山に要塞として築いたのに始まる。以後プファルツ(ライン)選帝候の居城として代を重ねながら拡張してきた。そのため、ゴチック・ルネッサンス・バロックなど入り交じった堂々とした造りになっている。1720年に選帝候の居城がマンハイムに移されてからは城の重要性を失った。たび重なる戦火の跡や長年の崩れがめだつ。 現在城内にはドイツ医薬博物館などがある。城内の地下には18世紀末に、城兵たちのために造られたワインの大酒樽がある。約20万㍑の巨大な物。 |
<エピソード> 「出ものはれもの所選ばず」というわけで海外へ行っても、トイレは使わないわけにいかないが、日本とは事情が違っているので皆さんとまどっていたようだ。 ・有料トイレで、チップを握ってドアをしめないで3人して入った。 ・ ハイデルベルク城のトイレに入ったとき、机に灰皿があったので、帰りにチップを入れるんだなと思い前へ進もうとしたら、面長の頭の毛のクチャクチャのオバサンが出て来て、ポケットをジャラジャラさせ何か言っている。言葉がわからないので、「わかんな-い」と答えたら,またジャラジャラベラベラしきりとお便所を指さす。見たらカギ穴があってお金を入れないと戸が開かないのだ。お金の手持がなかったの,「お金な-い」とやり返す。心の中では「困ったナ、本当にもうー」だけど相手はなおもベラベラくり返すので、仕方ないので私よりも背の高い肩を3つ4つたたきながら、「アッハッハー、わかった。ちょっと待ってて今持って来るから」とやったら、相手も「アッハッハァ、ベラベラベラ。」私は外にとび出して、お金を50ペニヒもらって再びお便所へ入った。そうしたら、彼女は居ない。「ハァーイ、持って来たョ。」と大声だしたら、「ハァーイ」と部屋から出て来て、ドアの前に案内しジャラジャラと2つコインを銭穴に落とし、12ペニヒおつりをくれ便所のドアをあけてプリーズとやってくれた。結局とても良い気分で用が足せた。 |
道中日記1989年9月27日(1日目) / 道中日記1989年9月29日(3日目)