ベートーヴェン故郷道中日記 1989.9.28Thu. Sunny

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89年当時のドイツ周辺図

4:18 食事〔機内食〕[メニューを考えると多分朝食]{日本時間12:18}
<クロワッサン・プチパンみたいの・オムレツ・ソーセージ・ぶどう・ネクタリン・ハムサラダ>やっとソーセージが出た!っと思ったら、ちっちゃなウインナーって感じ。でも美味しかった。みんなは食事している人といびきをかいている人と半々くらい。
6:35 フランクフルト着{日本時間 14:35}[とうとうドイツへ来た!]
16時間も飛行機に乗ってやっと着いた西ドイツ!予定時間より30分早く無事到着。まず両替所に走り、片言の英語で何とかドイツの貨幣を手にする。早速、ちゃっかり喉をうるおしに行く人がいた。だいたいの人がコーラ・スプライト・ビールのどれかなのは、日本語でもわかることが理由なのだろうか。
8:00 フランクフルト発フランクフルト空港からハイデルベルクへ向けて、バスでアウトバーンを走る。2台のバスの窓からはいつもと違う広々とした風景が広がっていて、100km/h前後のスピードでその中を突っ切って行くのは何ともいえない快感。
[早くも時差ぼけで目の開かない人が半数。]
9:12 ハイデルベルク城
    【見学】
バスの駐車場から石畳の坂道を登ると「さすがヨーロッパ!」と叫んでしまいそうな薄いレンガ色のお城がそびえ立っている。このハイデルベルグ城。芸術的!ロマンチック!美しいヨーロッパの古城に心からうっとり・・・。
その途中で赤地に白文字で描かれた私達の第九コンサートのポスターとご対面。もう大感激![TakasakiDaikuGasshoudanしか読めなくても、ここまで来た感激は十分私達の胸をいっばいにしてくれる。]記念写真を撮る人も多かった。この城の下の石段にあった柱(ポスターを貼るための円柱がある)にも貼ってあった。
石畳の坂道を登るハイデルベルクへ到着記念写真

記念写真ポスターとご対面ポスターとご対面
お城で思い思いに記念撮影。
ここからはネッカー川と赤い屋根をのせた小さな家の町並みが展望できる。
どの家も四角い窓に花を飾ったおとぎの国のような可愛らしさ。
現地日本人のガイドについて城の中に入っていく。
門には外部の敵を撃退するための色々な仕掛けがあり興味をそそられる。
城の中には約500ガロン(?)も入る世界一大きなワインの樽があり、階段でその上に登ることができる。
樽の前にはそれを造るために使用した特大のコンパスと何故かビックリ箱が飾ってある。
白ワインや美味しいパンを売っていて、試食をしながら城内を歩いしまった。
売店では絵はがきなどを購入することができた。店のおばさんが上手に日本語を「ありがと~!」と話すのには感心。
大酒樽(約5万ガロン)お城の中でお城の中の建物
10:45 聖霊教会を訪ねるドイツ公演の会場になる聖霊教会を見学。
表に私たちのポスターが貼ってあったのでとりあえず記念撮影。・・・したんだけど頭でポスターが隠れてしまった。赤字に白の文字で「Takasaki Daiku Gasshodan」!?だって!!
中からオーケストラの第9の音楽が響いてきた。
私たちの公演のために練習をしているところだった。
たいへん音響が良い。
美しい祭壇の上のステンドグラスを眺めながら、その調べにしばし酔いしれていた。
[私達がここへ来る為に役員の人達がどんな苦労をして、この夢を実現させたか、また私達が何の為にここへ来たのか改めて自覚した。]
ポスターから公演の雰囲気が感じられる聖霊教会の前で記念写真尖塔も美しいステンドグラス
12:30 昼食〔マンハイム、エクセルシオールホテル〕
<ピラフの様な物が出たが、米がパサパサで日本のより細長い形をしている。>
予定より1時間遅れなのでみんなおなかがペコペコになっている。
しかも料理が出て来るのがとてもゆっくり。
14:40 ホテル着
ハイデルベルク
〔マンハイム、オーガスタホテル〕
一泊目はマンハイムのアウグスタホテル
古いけれどヨーロッパらしい豪華で、さすが四つ星と思いきや、バスルームはやはりその古さを隠しきれない感じ。
(都合により、数名は昼食を食べたエクセルシオールホテルに泊まることになる。)

ハイデルベルグ城

16:30 休息イブニングコールまで、みんな部屋でシャワーを浴びてひと休み。
17:30 発声練習
シュミット・へナー・ハウス
現地留学生とドイツの合唱団の応援も得て、仲良く発声練習。
ソリストも指揮者も揃って旅の疲れも忘れて一心に声を出した。
発声練習発声練習発声練習発声練習
20:00 ゲネプロ
オーケストラとの練習
〔聖霊教会〕
歩いて移動。夜になるとさすがに寒い。
通訳をはさんでの指揮者の指導である。
言葉の通じないハンデも何のそので、翌日の練習はしなくて良いことになる。
[できがなかなか良かったらしい。]

聖霊教会でレッスン指揮者の指導中
21:00 夕食
〔ツム・リッター〕
コーラスの練習のあと、聖霊教会の前にあるツム・リッター(騎士の家・16世紀にできたルネッサンス末期の代表的な住居)というレストランで、ゆっくり夕食をとり旅の疲れを癒す。
名産のワインやリンゴジュースを飲みながらおしゃべりをしているうちに時間が過ぎてしまう。
役員さんや指導者の先生は次の日の本番のことで頭がいっぱいらしく緊張気味であるが、「歌がうまくできたので、次の日のレッスンはしなくてもOK」と聞いて、みんなはかまわずお酒を飲んで前祝いをしている。


前祝い

22:20ホテルに戻る
ハイデルベルク
ホテルエクセルシオールは街外れのこぢんまりとした新しいホテル、[ビジネスホテルといった感じ。]街中にあるオーガスタホテルは古風でなかなかきれいな建物だったが、バスルームはその古さを隠しきれない感じ。
早速絵はがき用の切手を買う人もいた。
ヨーロッパのホテルは日本と違い、まず自分の部屋を見つけてドアを開けるまでが一苦労。エレベーターも勝手がわからず、4F・5Fまでヒーヒー言いながら階段で運動してしまった人も多かった。
とりあえず無事ついてめでたしめでたし。「バタンキュー」の見本のようにみんなおとなしく眠りについた。

<ハイデルベルク城>
神聖ローマ帝国フリードリッヒⅠ世の弟コンラートが、1226年ころ市の南東のケーニッヒシュツール山に要塞として築いたのに始まる。以後プファルツ(ライン)選帝候の居城として代を重ねながら拡張してきた。そのため、ゴチック・ルネッサンス・バロックなど入り交じった堂々とした造りになっている。1720年に選帝候の居城がマンハイムに移されてからは城の重要性を失った。たび重なる戦火の跡や長年の崩れがめだつ。
現在城内にはドイツ医薬博物館などがある。城内の地下には18世紀末に、城兵たちのために造られたワインの大酒樽がある。約20万㍑の巨大な物。
<エピソード>
「出ものはれもの所選ばず」というわけで海外へ行っても、トイレは使わないわけにいかないが、日本とは事情が違っているので皆さんとまどっていたようだ。
・有料トイレで、チップを握ってドアをしめないで3人して入った。
・ ハイデルベルク城のトイレに入ったとき、机に灰皿があったので、帰りにチップを入れるんだなと思い前へ進もうとしたら、面長の頭の毛のクチャクチャのオバサンが出て来て、ポケットをジャラジャラさせ何か言っている。言葉がわからないので、「わかんな-い」と答えたら,またジャラジャラベラベラしきりとお便所を指さす。見たらカギ穴があってお金を入れないと戸が開かないのだ。お金の手持がなかったの,「お金な-い」とやり返す。心の中では「困ったナ、本当にもうー」だけど相手はなおもベラベラくり返すので、仕方ないので私よりも背の高い肩を3つ4つたたきながら、「アッハッハー、わかった。ちょっと待ってて今持って来るから」とやったら、相手も「アッハッハァ、ベラベラベラ。」私は外にとび出して、お金を50ペニヒもらって再びお便所へ入った。そうしたら、彼女は居ない。「ハァーイ、持って来たョ。」と大声だしたら、「ハァーイ」と部屋から出て来て、ドアの前に案内しジャラジャラと2つコインを銭穴に落とし、12ペニヒおつりをくれ便所のドアをあけてプリーズとやってくれた。結局とても良い気分で用が足せた。

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