平和のためのポーランド 第九コンサート・ツアー

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2002.10.6Sun  

にぎわうはずの街中も日曜は雨に濡れる通勤通学で混雑するバスターミナルも朝の散歩で市内を散策しました。
雨も上がり、しっとりとした日曜の朝。
ポーランド国民のほとんどが敬虔なカトリック教徒、
ほとんどの商店は土曜日午後4時に閉店し、日曜は営業しない。日曜は教会のミサに向かうため、街ごとお休み。
市内各所の教会のミサも、
早朝から夕刻までほぼ1時間ごとに行なわれ、
市民すべてが参加できるようです。
右の写真のバスターミナルもお休み状態。

7:45 朝食(1~6班)
8:15 朝食(7~12班)

8:50 ホテル出発

9:00 石炭博物館
1979年に開館。
町の歴史の他、伝統、宗教、坑夫の仕事等を展示している。

石炭博物館

ステンドグラスの部屋で市長の挨拶第九演奏会当日です。お天気がちょっと心配です。

ステンドグラスもきれいだねホテルの朝食会場は、全員が一度に座れないので2回に分かれました。

ステンドガラスの部屋にてザブジェ市長ローマン・ウルバンティック氏から歓待の挨拶をいただきました。市長選を控えた多忙な時期のため約15分程度。

左がウルバンティック市長、右が通訳リチャードこちらも石炭博物館全景市長自ら市の歴史解説・観光案内を行なってくれ、サブジェ市の地図をいただきました。またザブジェ市文化局長のヴィルクさんの挨拶もいただきました。

通訳は私たちのガイドのリチャードです

市長の挨拶

9:00 市内観光

駅前通り、右奥がザブジェ駅
↑駅前通り。左の赤い建物が中央郵便局。右奥がザブジェ駅。

<バスより車窓観光>

演奏会場であるアン教会に面した通りは「5月3日通り」。5月3日が憲法記念日であることからつけられました。

アン教会入口の前の黒い建物は裁判所、上にシンボルマークの「てんびん」があります。

石炭工業が盛んな時期、労働者と資本家の住まいは通りを隔てて分かれており、今も街並みに面影が残る所があります。

赤や黄色で窓枠が塗られている家は19~20世紀に建てられたこの地方独特の建物です。

隣のヴィトンは炭鉱の町で人口約10万人。経済的に深く掘れずまた閉鉱もできないらしく、このような町が多くあるそうです。

ただ1つ残るコークス工場を車中より見学しました。計画的な都市づくりが遅れているため、狭い道路も多かったです。途中、橋の下をくぐる時、バスのタイヤの空気圧を下げて車体全体を低くして通りました。珍しい体験でした。車中で頭を下げた人も。

♪こんなことがありました2階建てバスなど通りそうもない旧坑夫の住宅街で、2階の窓から外を眺めていたポーランドの女性。バスが通った途端、2階建てバスにも驚いたけどそのバスに乗っているたくさんの東洋人にびっくりしたのでしょう、「ちょっと~、来てごらんなさいよ!」と家の中の人に向かって慌てて手招きしていたそうです。

2班に分かれる
11:15(~12:15)

①ショッピング班19人
ハイパーマーケットへ

②ミサ班80人に分かれる。
聖アン・ローマカトリック教会のミサに参列させていただく左側入口でロザリオ5・6種類が10~40łで売られていました。買った人が多かったようで売り切れました。

日曜日は、朝から1時間毎に行なわれるミサに大勢の方が訪れます。皆さん熱心な信者でした。中にはミサの間中、ずっと立っている方もいました。1200席を誇る大教会にすら空席を見せません。

いいのかしら?(こんなに信仰深い方達と一緒にミサに参列させていただいて…。)
日々幸せに生活している事を! こうして仲間と演奏旅行に来られる事を! この教会で歌わせていただける事を! 感謝してお祈りしましょう。
賛美歌を歌い、厳かなミサの一幕を担った。

敬虔なカトリック教徒たちの厳かなミサに、私たち日本人の参加を許し、賛美歌を歌わせてくれた寛大な心に感動した。
特に拍手をするわけでもなく、厳かなミサの一幕に完全に取り込んでいただけたことがなおさらうれしかった。
      

聖アン・ローマカトリック教会 ミサ賛美歌の独唱

 ソプラノ:赤羽その子 / パイプオルガン:儘田博美

1 Ave Maria アヴェ・マリア
   (Johann Sebastian Bach/ Charles Francois Gounod:バッハ/グノー)

2 Panis angelicus 天使の糧(César Frank:フランク)

3 Ludate pueri Dominum/下僕らよ神を讃美せよ より
 ‘Sit nomen Domini benedictum’/今より永遠にいたるまで
   (George Frideric Händel:ヘンデル)

12:45 ミサ終了

13:15 ホテルへ

班別に昼食をとり、その後は部屋で休憩。

雨が降ったりやんだり…。演奏会にお客様来てくれるかしら?ちょっと心配です。

この日はホテルと教会の間を何回も行ったり来たりです。

14:50 ロビー集合
15:20 ホテル出発

15:30 教会着

15:40 ゲネプロ

出番までオーケストラのゲネプロを見学。

ポーランド人はドイツ人が嫌いなのではないだろうか?ドイツ語の歌を歌いに来た私達をどう思っているのか?本番ではお客様は来てくれるのだろうか?そんな不安が頭を掠めます。
でも、入り口にいらっしゃるマリア様が聴いて下さっているような気がして、マリア様に向かって歌いました。

ザブジェ・フィルハーモニックはこの聖アン教会において「第九」を演奏した経歴を持つ。
この経歴は演奏会の地として彼らが立候補するために、重要な鍵となった。

17:30 ホテルへ

18:30 再び教会へ

19:00 教会入りコンサート

衣装に着替えます。レセプションで渡すお土産、カメラを忘れないでね!

教会の敷地内は車がいっぱい。こんなに早くからお客さんが入ってくれたのかと思ったら、まだ最終ミサが終わっていないとの事。バスもなかなか前に動きません。

時間ぎりぎりに教会に入り、いよいよ本番、ステージへ。

予想を越えるお客様!教会がたくさんの人で埋め尽くされています。1200席は完全に埋まり、一階二階の通路・回廊に立ち見も!途中で座ることなく2時間立ったままの観客も多く、みんな熱心に聴いてくださいました。

←第九演奏会の入場券(招待状)と第九演奏会のポスター→

世界平和を願う「日ポ第九合同演奏会」

会場:ザブジェ市・聖アン・ローマカトリック教会

1.ガウデ・マーテル(Gaude Mater) / 2.さくらさくら / 3.赤とんぼ
指揮:赤羽洋子 / 合唱:高崎第九合唱団(ア・カペラ) / 舞踊:西川藤扇生(海老原洋子)

〈15分休憩〉

4.交響曲第9番ニ短調op.125 (L.v.Beethoven)

指揮:スワボミール・フジャノフスキー
演奏:ザブジェ・フィルハーモニック・オーケストラ
合唱:高崎第九合唱団・Resonans Con Tutti(ザブジェ市・プロコーラス)
― 応援30人/女声74人/男声48人/計122人(18人ずつ7列) ―

<ソリスト>
ソプラノ:サビーナ・オルブリフ / メゾソプラノ:アガータ・コビエルスカ
>テノール:フーベルト・ミシュカ / バリトン:タデウシュ・レシュニチャック

【第一部】

♪ガウデ・マーテル

座っていた人達も帽子を脱ぎ、一斉に起立。
ポーランドの人は国歌のように大切にしている曲だと聴いていたので納得。
そして、その光景を見ただけで、涙が…。敬意を表し、歌わねばと言う気持ちが体中に湧き起こりました
♪さくらさくら
♪赤とんぼ
美しい日本の花を、歌と日舞を通し、感じて欲しいと願い歌いました。
日本で歌い継がれている郷愁のハーモニーを伝えられたと思います。

(日本の歌が終わって、女性司会者)

「“さくらさくら”のソロは、指揮者の娘さん、赤羽その子さんでした。」とコメント、会場から拍手と歓声が湧き起こりました。

第一部終了後

バスで待機

一旦、合唱団員はバスで待機(第九の第一・第二楽章の間、待っている場所がない為)。ICEC(旅行社)の渡辺さん、柴田さんが温かいお茶を用意してくれました。おいしかったなぁ。細かい気配りに感謝!
時間になり、右手、左手に分かれてステージ袖の小部屋でスタンバイ。

♪ベートーベン「交響曲第九番二短調」

第三楽章より入場。体いっぱい使ってタクトを振る指揮者に引き込まれ、心地よい緊張感の中で最後まで歌い上げました。曲が終わると一瞬の静けさののち、観客一人残らず立ち上がり賞賛の拍手を送ってくださいました。いつまでも絶えることのない拍手の嵐にジーンときました。

人種・言葉・文化・宗教すべてを超越した両国民の平和への願いが、会場全体に歓喜の感動をもたらしたといえるでしょう。最後まで立って聴いてくださったポーランド人の温かい心に感謝!バスに向かうと会場を後にするお客様と顔を会わせる事に。中には老婦人にぎゅっと抱きしめられた人も! 赤羽先生は現地の子ども達からサイン攻めに。そしてザブジェの人々はバスが見えなくなるまで手を振ってくれました。

(第九終了後、女性司会者から出演者を紹介)

赤羽洋子さん、高崎第九合唱団、スワボミール・フジャノフスキー氏(指揮者)、ザブジェ市オーケストラ、サビーナ・オルブリフ(ソプラノ)、アガータ・コビエルスカ(メゾソプラノ)、フーベルト・ミシュカ(テノール)、タデウシュ・レシュニチャック(バリトン)

本日の私の司会、上手く務められましたでしょうか。また皆様、本日のコンサートお楽しみいただけましたか。皆様の心に、何か残せるものがあると良いのですが。そして、特にタルノフスキー司祭様、大変ありがとうございました。   ~客席中から拍手が沸き起こりました~

(タルノフスキー司祭から感謝の言葉)

 今回のコンサートを催してくれた市や州に対し、大変感謝致します。また、レソナンス男性合唱団の皆さんにも、厚く感謝します。高崎第九合唱団の皆さんに拍手を!

~更に大きな拍手と歓声に包まれました~

♪こんなことがありました

聴きにきてくれた方の中に2名の日本人がいました。ポーランド在住の日本人で、団員の吉澤道子さんがポーランドの情報を貰う為に連絡をとっていたのです。当日、ザブジェから遠く遠く離れた街からわざわざ足を運んでくれました。
総勢100人余りの日本人を前に、2人とも「久しぶりにこんなにたくさんの日本人に会った。」と言っていました。
終了後談、「演奏会でこんなに総立ちになるのはポーランドでもめったにないよ!」ですって。嬉しいですね!!

21:30 レセプション

<進行>

◆ザブジェ市長あいさつ

◆団長あいさつ
◆赤羽先生あいさつ
◆指揮者あいさつ

◆Na zdrowie!(乾杯!)

◆歓談・交流

<手作りお土産の協力者>
岩城綾子さん、田中和子さん
原田ナカさん、薮内君子さん
茂木十三子さん

 指揮者スワボミール・フジャノフスキー氏より渡辺団長、赤羽先生にプレゼントが贈られ、日本のお土産も渡します。

<おみやげ紹介>

ザブジェ市長へ…高崎のパンフレット、地図、浮世絵の押絵、花札、だるま

文化協会長・シレジア州議会の方へ…パンフレット、花札、タペストリー、だるま

指揮者へ…タペストリー、花札、だるま

オケ団員・助っ人の合唱団員へ…箸、楊枝入れ、だるま、折鶴

日本文化を楽しんでもらうスペースを用意し、団員自ら得意分野で身振り手振りの国際文化交流に取り組みました。また、個々に紙風船や折鶴、あやとりなど手軽にできるものを使って、交流のきっかけにしていました。

このレセプションは、指揮者・ソリスト・オーケストラを労い、また公演の運営・費用負担を行ってくれたザブジェ市長たちに感謝の意を込めて、高崎第九合唱団が企画し彼らを招待したものである。
日本から多くのお土産を持参した。日本画の壁掛け兼風呂敷、花札、押し絵、高崎だるまなどなど。ポーランド語解説をつけたもの、箸や折り紙など実演して見せるもの、団員手作りのものも多く、それぞれ渡すことができた。
ポーランド民族衣装としても紹介されるシレジア地方の民族衣装。
軽快な歌と踊りは、同じシレジアに属するチェコやドイツでも見受けられた。(チェコは95年に、ドイツは89年と98年に海外公演で訪れた)

★茶道コーナー  【鳥屋恵美子、茂木十三子、若林加代子、三宅美嘉担当】 

若林さんが着物を着て、お点前を披露。歌のお手伝いに来てくれた学生さんが興味を示してくれて大好評でした。おいしいと言う人もいれば、眉をへの字にし、首を横に振る人もいて、楽しいひととき。最後にお茶碗もお茶杓も茶筅もみんなプレゼントしてきてしまいました。茶筅を貰った学生さん、にっこり笑ってほっぺに当ててこする真似をしていたけど、どうしたかしら? それぞれ違う流派のお茶の先生方を裏方に何杯お茶を点てたかな?さすがです、あの落ち着きと手早さは…。

【コメント】お茶の先生の一人、茂木十三子さんより

日本文化にも少し触れていただきたく、お茶席を設け、若手の加代ちゃん、美嘉ちゃんにお点前をしていただき、お茶の先生をしていらっしゃる鳥屋さんと水屋のお手伝いをさせていただきました。

最初ためらっていたポーランドの方々、日本の文化に挑戦しようと恐る恐る懐紙の上の老舗『鉢の木』の干菓子を口に…甘くておいしかったのでしょう。にっこり。そしてポーランドの国の食器と比べると少し肉厚のふっくらとした茶器を手にお薄を口にし、又にっこり。大成功でした。

それから次々とポーランドのお客様で水屋は大忙しのてんてこまい。私も30年ぶりに出稽古を思い出して満足でした。最後にいくつか用意した茶器を記念に差し上げてきましたが、その方達、今頃眺めて楽しんでいらっしゃるでしょうか。ポーランドの野の花を挿し、楽しんでおられますか。楽しかった。ポーランドの地に思いは馳せます。


今回、茶道を披露するにあたり、元団員で陶芸家の松本茂晴さんがたくさんのお茶碗を寄付してくださいました。茶道を3人がかりでお菓子から茶器まで準備。最後は茶器までプレゼントした。

★書道コーナー 埋金禮次郎、菊池道子、須藤瑞子担当>

書道も3人がかりで取り組みました。
漢字を書いてもらっておおよろこび。カタカナは自らの名前を書けるとあってまた人気。
新作の字も登場し、大いに盛り上がりました。

【コメント】須藤瑞子さん、菊池道子さんより

私達は“書道コーナー”を「店開き…(笑)」いたしました。これが驚いた事に瞬く間に行列ができてしまいました(少しオーバーかな、フフフ)。
そんな中で私達は「平和、友情、愛、夢、第九」等書いてみましたが、筆で英語やポーランド語でこの様に書いて、と希望が。この要求には少し戸惑いましたが、何とかそれなりに楽しい作品になったかな?とも思っています。
用意した色紙も全て使い果たし、盛況のうちに閉店し、その後は踊りの輪に参加して楽しみました。
それにしても日本の文化に随分深い関心を持っていられる事、改めて実感したと同時に、皆様方に少しは喜んでいただけたのかな~と思い、ホッとしております。
お陰様で私達も書を通して、楽しく有意義な文化交流をさせていただき、又、記念に残る楽しい旅ができた事に感謝しています。色々とお世話になりました。

歌は世界共通、言葉が通じなくても心は通じます。

日本で歌われている童謡「森へ行きましょう」をポーランド語で覚えた効果は絶大でした。今まで見ることすらあまりなかったであろう東洋人が、ポーランド語で愛唱歌を歌うのだから、その盛り上がりは大きいです。

いろいろな歌を歌っているうちに、誰が声をかけたわけでもないのに、人々が次第に手を取り合っていき、小さな輪ができ、いくつもの輪になり、重なりあって大きな輪が二重にも三重にも膨れ上がっていきました。

言葉も人種も意識せずに、お互いの文化を楽しむことができた時間でした。市長も多忙な時間を割き、この東洋からの文化団体にダンスや歌で最後までお付き合いいただきました。

    

【団員コメント】

★「荒城の月」にちなんで金色の草履と「雁」の模様の青い袴姿で登場した海老原洋子さん。美しかった…。(でも、レセプションでは男子学生達が「さくらさくらの着物の方がいいよ。どうしてあっちじゃないんだ?」と言っていたそうです。)

★帰りの一号車のバス。ホテルと同じ方面に帰宅する現地の合唱団員を乗せました。うれしそうにもらった箸を取り出し、持ち方を確認していました。近くにいた吉澤さんは持ち方を説明し、富山さんがポーランド語で通訳。「難しいな」と言いながら、一生懸命持ち方を教わっていました。

ザブジェ市長歓待挨拶

10月6日(日)ザブジェ市石炭博物館
通訳:リチャード

ザブジェ市にようこそお越しくださいました。私の名前はローマン・ウルバンティックで、ザブジェ市長です。

こちらは、県とは違い、もっと小さい単位州都の街です。ザブジェ市の人口は約20万人です。大きな街の一部ですが、全体では300万人以上になります。(シレジア地方で、ということ)

とても遠い国から、こちらにお越しいただき大変嬉しく思います。

われわれポーランド人は、いつも日本人を大変敬愛しています。

ザブジェ市と日本には、直接の関係はあまりなかったのですが、日本にも一人の代表者が住んでいます。ヤン・サッカさんはこの街出身の画家です。今まではあまり直接の親交はありませんでしたが、将来は今までよりもっと頻繁に交流を持てるという希望を持っています。

こちらの部屋は石炭工業の博物館の中です。このような石炭博物館はポーランド中で一つしかありません。昔この建物は、当局(共産党)の本部でした。シレジア地方全体としての石炭産業の伝統は最近の200年くらいですが、人々がこちらに住み始めたのは中世時代からです。

こちらにいらっしゃったことを、とても感謝しています。こちらアラフド・ジンスキーさんはこちらに勤めている方で、館内の案内をしてくれます。

今年はこちらの街が都市の権利を受けて80周年の記念すべき特別な年です。その為、いろいろな会議があり、こちらに長く滞在することができませんが、今夜のコンサートの後はもう一度お会いできると思います。そのときに日本の新しい情報をいただきたいという希望を持っています。この街ではどうぞ楽しい滞在をなさってください。そして、印象深いコンサートをお願いします。あなた方はベートーヴェンの第九に携わる方々ですね。曲の中に「人類はみな兄弟」という言葉が出てきます。

(私たちに向かって)兄弟よ、ようこそ!! (拍手!)

石炭博物館 館長 アラフド・ジンスキー氏

市長が言ったとおり、ここは石炭博物館で、ここの石炭産業についていろいろ紹介されています。

炭鉱は18世紀のはじめにつくられ、そのあと100年くらいでヨーロッパ全体の中でも重要な石炭産業の町になりました。昔は9つの石炭工場がありました。最近は経済的な制限があるため、今はザブジェ市にはひとつしか残っていません。

石炭工業のほかに、ホップスの生産が盛んです。18世紀の終わりには2000人の村から、大きな街になりました。この博物館は1979年に建てられ、昔の当局(共産党)本部がありました。この部屋はステンドグラスの部屋で、昔、地方議会が行われました。ここには、工業技術のほか、鉱夫の仕事の色々な伝統と歴史が説明されています。こちらの地方の色々な伝説、伝統、色々な宗教の関係の説明があります。

これからもう一度バスに乗って、この街を少し見学します。ガイドが二人同行します。一人は私、もう一人はヴィルクさんです。

サブジェ市役所スポーツ文化担当官 ヴィルク氏

皆様、ザブジェ市にようこそ。私はいつもミロスワフさんと連絡を取っていたので、多分一番早く、皆様の滞在を知っていたのだと思います。一部の方々とは昨日教会のリハーサルでお会いしましたね。私自身が、昔、合唱団に所属していましたので、今日はちょっと皆様と一緒に歌いたいと思います。(団員、拍手!)

今日は市内観光の予定で一番おもしろいところを見せます。ではこれから地図をお配りします。


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