平和のためのポーランド 第九コンサート・ツアー

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2002.10.9Wed 

7:10 クラクフ中央駅
(Krakow Gowny )へ

8:05 クラクフ中央駅発
(IC特急列車)

改札口がありません “あれ?切符は?”ヨーロッパは改札がないのでした。暗くて長―いホーム、人気は少なく、列車もきれいではなく、スリも多いらしい。
クラクフを離れるのは寂しい気がするけれど、ヨーロッパ平原の列車の旅です。
「世界の車窓から♪世界の車窓から♪」と心わくわくです。
いざ列車へ。発車の合図もなく出発!
ヨーロッパの列車のため座ると足のつかない人が…。

天気は曇り、でも景色は遠くまで見渡せます。緩やかな丘陵、のどかな田園風景、紅葉した木々、林の中を走り、映画やTVではなく生でこの風景を見ている感動…。あのかわいらしいお家の中はどんな風なのか、覗いてみたい♪
と、思っていると隣のコンパートメントから大笑いの声が…。
それぞれのグループで楽しい時間が過ごされているようです。

10:45 ワルシャワ中央駅
(Warszawa Centralna)

10分遅れで到着、気温6度

急に都会になりました。

まず目に付くのは“文化科学宮殿”
37階建て高さ234m1952年から4年かけてスターリンからの贈り物として建てられた現代社会主義スタイルの建物。
現在は、ポーランドTV、映画館、コンサートホール、会社などが入っていますが、ポーランド人の評判はイマイチのようです。

文化科学宮殿() →

バスにて市内観光

11:00 ワジェンキ公園
()

ヨーロッパで一番広く(235,000坪)、最も美しい公園のひとつに数えられ、ワルシャワ市民の自慢です。
“ワジェンキ”とはお風呂のこと。ポーランド王国最後の王スタニワフ・アウグスト・ポニャトフスキが1766年から30年間で造らせた。

私達は(Ujazdowskie)通りから入ってすぐの池や、バラ園に囲まれた場所にある、風に吹かれたしだれ柳の傍らに腰掛ける1926年製作のショパン像を前に写真を撮ることだけしか楽しめませんでしたが、夏はここでコンサートが催されます。

バスの中で聞いた話

ポーランド人は馬好き。乗馬ができる場所がたくさんあり、馬肉は食べない。
街路樹はポプラ、マロニエ(とちの木)がほとんど。

12:15再びバスに戻り、
ランチBOXをPICKUP。

なんと!“幕の内弁当”
6日ぶりの日本食!

ジェラゾヴァ・ヴォラへ向かう車中でランチ・タイム。
ほとんど無言。
外の景色も見られないほど美味しかった・・・。
日本人でよかった本当に。
日本食はレストラン日本館(NIPPON-KAN)のもの。

ワルシャワからの道のりがまた何とも言えず美しい・・・。けれど、日本食を食べ、ショパンのピアノ曲を聴きながらバスに揺られ、満足した顔で寝てしまいました。

ジェラゾヴァ・ヴォラ

13:00 ショパン生家着

13:40 ショパンコンサート
(~14:30)

各号車でミニコンサート

ジェラゾヴァ・ヴォラへ入ります。

フレデリック・ショパン(1810~49/Frédéric F.Chopin)の生家はワルシャワの西54kmのジェラゾヴァ・ヴォラにあります。

ショパン生家はドイツ軍の砲撃で一部破壊されましたが、1945年再建され現在は博物館になっています。
庭にあるショパン像は、1969年ゴスワフスキ(J.Gosławski)作

ショパン協会の特別な許可により、ショパン生家を貸し切り状態でコンサートを企画しました。

ショパンの生家は、1万㎡の敷地に世界中から贈られた1万本の植物が植えられています。入口の門にからまった蔦が紅葉して、これまた美しい。

お庭で前のグループを待ちながら写真タイム。

生家では全4室を見学しました。ショパンが弾いたピアノと子供用のピアノと3台ありました。子供用は可愛かったですね。
古いため中の機械がはずされ音は出ませんが、いくつかの鍵盤は触れることができます。
ショパンが初めて書いた楽譜の複製も展示されていました。お庭のお散歩、入口のお店でショパングッズをお土産に・・・

ショパン生家室内コンサート

1 「Chanson de l'dieus(別れの曲)
/指揮:赤羽洋子 ピアノ:赤羽その子  合唱:高崎第九合唱団
2 ショパン作曲:ワルツ第7番嬰ハ短調op.64-2     ピアノ:儘田博美

3 ショパン作曲:17のポーランドの歌より(Frederic Chopin
yezemie(願い)」、「Gdzie lubi(好きな場所…)」、「Piosenka litewska(リトアニアの歌)」

/ソプラノ:赤羽その子  ピアノ:儘田博美

※1号車は「願い」と「好きな場所…」、2号車は「願い」と「リトアニアの歌」
  

14:45 ショパン生家発
バスでワルシャワへ

15:45 ワルシャワ市内観光

国立大劇場

サスキ公園

無名戦士の墓

ワルシャワ旧市街とは言えやはり建物は新しい

ワルシャワ市内に戻り、国立大劇場や無名戦士の墓のあるサスキ公園を車中から見学しました。無名戦士の墓は、祖国のために命を落とした兵士たちの慰霊碑で1952年の建造以来、永久の平和を願い、交代で衛兵が墓を守っているそうです。

聖十字架教会

ショパンの心臓の眠る聖十字架教会はバロック様式の聖堂です。通りの向かいにはコペルニクス像がありました。入口を入って左側の石柱の下にショパンの心臓が埋められています。第二次大戦中、ナチスに持ち出され、1945.10.17のショパンの命日に元の場所に戻されたそうです。ここでミサ曲アホ・ムイ・イエズ(Ach mój Jezu)を合唱。お祈りしている人がたくさんいましたね。

クラクフ郊外通りから
新世界通りと
名前が変わる少し北に位置する

ワルシャワ市民の情熱で戦後、復興した町並み。ここでもまたポーランド人は国を愛していることを深く感じさせられます。破壊され瓦礫の山だった市街地を、ヴェネツィア出身の画家ベルナルド・ベロットの詳細な風景画を元に、路地や広場に建つカラフルな家々のすべてを戦後再建、位置や形、色、ひび割れまで復元しました。

ポーランド王ジグムントⅢ世が1596年クラクフからワルシャワへ遷都した。

  

旧市街中央広場の人魚像は、ワルシャワ市の紋章にもなっています。ヴィスワ川の伝説で助けた人形を川へ帰し、恩返しで裕福になった漁師夫妻ワルスとサワがワルシャワの語源とのこと。

旧市街広場で約40分の貴重なフリータイム。ズロチを使い切るのはここしかありません。みんなあっという間にお店へ直行。そして、集合時間の合図のようにここで「ガウデ・マーテル」を歌いました。

17:30 ショパン博物館見学

18:00 ジョイントコンサート

ショパン博物館はショパン協会本部があり、

17世紀初頭、クラクフ騎士オストロフスキが建てたバロック様式のオストロフスキ宮殿

5年毎にショパン国際コンクール開催される場所でもあります。ショパンに関する資料が2500点ほど所蔵されています。

ショパン博物館のホールで、ワルシャワのコーラス「HARFA/HARP(ハルファ)」とジョイントコンサート。この合唱団は結成97年目、ヨーロッパ中のコンクールでの優勝経験を持っています。55名ほどの男声合唱団。ですが、ほとんど全員がおじいちゃん。アリシアが通訳・司会を務め、コンサートが始まります。

ジョイントコンサート  【第一部:ソリスト・ピアニスト】

1 ショパン作曲:ワルツ第7番嬰ハ短調op.64-2/ピアノ:儘田博美
2 ショパン作曲:17のポーランドの歌より「願い」、「酒場の歌」、「好きな場所」
/ソプラノ:赤羽その子  ピアノ:儘田博美


♪かわいい日本の女の子におじ様方はニコニコです

ジョイントコンサート  【第二部:ハルファ】

1 HASŁO
100年前、私達の合唱団をつくったヴァーツラフ・ラフマンが作った曲を歌って皆さんを歓迎したいと思います。
2 POLONEZ z opery "HALKA"
ポーランドではショパンと同じように愛されているスタニスワフ・モニューシュコが書いたオペラ“ハルカ”からポロネーズ
3 CHÓR ŻOŁNIERZY z opery"FAUST"
ショパンと同じロマン派のフランス人が書いたオペラ“ファウスト”から軍隊のコーラス
4 KOŁYSANKA
ポーランドの有名な詩人コンスタンチン・インフォンス・ガウチンスキーが書いた子守唄。第二次大戦後、二度とかえらない子供の頃と戦前のポーランドについての郷愁がかかれている。
5  CHÓR NIEWOLNIKÓW z opery"NABUCCO" ‘w Vo. Pensiero’
オペラ ヴェルディの“ナブッコ”から奴隷の歌「行け、我が思いよ。金色の翼に乗って」
/HARFA(HARP)

ジョイントコンサート  【第三部:コーラス】

1 ベートーヴェン作曲交響曲第九番より「M」の部分 
2 ガウデ・マーテル(Gaude Mater)
3 シュワジェヴェチカ(Szła Dzieweczka)
4 金毘羅船船
5 さくらさくら

/高崎第九合唱団 指揮:赤羽洋子 ピアノ:儘田博美
6 Stolat ストラット      高崎第九合唱団  HARFA(HARP)
7 VIVAT ヴィーヴァット   HARFA(HARP)

最初の一声にびっくり!確かに円熟している声だけど、とてもおじいさんとは思えません。

♪アンケートより♪

Harfa(Harp)合唱団の素晴らしい歌声に旅の疲れも吹き飛んでしまいました。帰らぬ子供たちと祖国のための子守歌は、メロディーが心の中へ静かにしみわたっていくようでした。スケジュール以外にも広場や教会でもたくさん歌いました。毎日どこかで歌えただけでも幸せな一週間でした。【佐復芳美】

19:00 交流パーティ
交流会レセプションの開催

おじ様方の視線は海老原さんの舞に釘付けです。わが団の男声もいつもと違いましたね!プレゼント交換をした後、アリシアから埋金さんのお誕生日(67回目)の紹介があると、ハルファの皆さんは埋金さんのためにポーランドの誕生歌「VIVAT」を歌ってくれました。

渡辺団長、小野里副団長の挨拶の後、ハルファの方から「ワルシャワに来てくれて、そして私達に会う時間を取ってくださり、本当にありがとう。そして、皆さんと一緒に過せた時間は決して忘れません」とおっしゃってくださいました。

その後のレセプションは大盛り上がり! 片言のポーランド語と英語でサインや名刺の交換をしながらコミュニケーションしました。ここそこで歌声も聞こえ、楽しいひと時を過ごしました。外国の男性から頬にキッスのごあいさつ、初めて体験された方たくさんいたのではないでしょうか?

【帰国後旅行社から】

ミロスワフさんからメールが届きました。最近、ワルシャワのハルファから感謝の手紙を受け取ったそうです。そして、その内容を皆様にお伝えくださいとのことでしたので訳させていただきました。

「この100年の間に、このような楽しい出会いはあったでしょうか!
私達は日本からお越しの皆様の素晴らしい歌声を楽しんだだけではなく、彼ら(皆様)の暖かさを感じることができました。短い交流の時間でしたが、私達は既に何年も前から知合っているような感覚でした。文化の違いにも関わらず、又、何千キロという距離で私達は隔てられているというのに・・・。
音楽、そして歌声は、お互いの民族の中で、1つに溶け合ってゆくということを確信しました。どうか、私どもの感謝とこの思いを、遥か遠くの地にいらっしゃる、私達の日本の友人の、高崎第九合唱団の皆様にお届け下さいますようにお願いします。私達(ハルファと皆様)の、心と心はとても近いのです。」

20:30 ホテルにて夕食

ワルシャワ国立フィルハーモニーホールのヴェルニック夫妻も、在ポーランド日本大使館書記官及び文化担当官生方さんと共に鑑賞に訪れ、滞在先ホテルまでお越しくださり歓迎の挨拶をいただきました。そして、お世話になったリチャードさんとミロスワフさんからもお言葉をいただきました。

そして、事業としての海外公演は今晩で終了。国際交流事業の総括とポーランドとの今後の交流を誓い合い、明日帰国する団員と最後の夕食のひとときを楽しみました。



←ワルシャワ旧市街。第二次大戦で瓦礫の山と化した旧市街を、ワルシャワ市民はひび1本まで忠実に復元した。右)王宮<BR>
まるでおもちゃの家のようにカラフル。→
ワルシャワ旧市街広場でもア・カペラ<BR>
世界各国からの観光客が私たちの歌声に耳を傾ける。</P>
</TD></TR><TR><TD>ショパン博物館にてワルシャワ市内のコーラスと共演。<BR>
まもなく結成100周年を迎える男声コーラス「HARP(ハルファ)」は、中欧各国コンテストで数々の受賞歴を持つ。</TD></TR><TR><TD>
<P>片言のポーランド語と英語でサインや名刺の交換をして、コミュニケーションしている。</P>
<P>ここそこで歌声も聞こえ、楽しいひと時を送った。

ハルファとの交歓演奏会での挨拶と曲の紹介【赤羽洋子先生】

Good Evening, everyone.

Thank you very much for your kind treats.

皆様こんばんは。

皆様のお持てなしに感謝致します。

We are the Takasaki city choir coming from Takasaki city, Japan. Takasaki city is a middle-sized city with two hundred and fifty thousand population, which locates a hundred kilometer north of Tokyo,the capital of Japan.

私たちは、日本の高崎から参りました《高崎第九合唱団》です。高崎は日本の首都東京からおよそ100キロ北にある人口25万人の中規模都市です。

Our choir was founded in the early 1970s. After the foundation, we have mainly focused on Beethoven's ninth symphony, FREIDE. Up until now, we have 30 times of annual concerts in our town, besides three times of performance tours in Europe. This Polish tour is the fourth time.

私たちの合唱団は、1970年代の初期に設立されました。設立以来、ベートーヴェンの交響曲第九番《FREIDE》を歌って参りました。既に30回、高崎で年に一度のコンサートを行いました。また3回のヨーロッパ公演を行ない、今回4回目の公演でポーランドに参りました。

Today, we would like to perform four Japanese songs.

日本の歌を4曲お聞きいただきたいと思います。

The song you have just heard was "The Moon on a Ruined Castle." This song expresses as follows; the prosperous time for the castle has gone. Just the foundation is left. Only the moon illuminates the ruin as it did in the prosperous time.

ただ今お聞きいただきましたのは、「荒城の月」です。昔栄えていたお城が土台だけ残して、荒れ果て、今は月の光だけが昔と変わらない光を写している、という内容です。

The next song is "Red Dragonflies." This is a nostalgic song composed by Kosaku Yamada, a famous Japanese composer. He composed this song when he stayed to study music in Europe in an almost hundred years ago. In Japan, in autumn, there are so many red dragonflies. For Japanese people, red dragonflies are symbol of childhood in hometown.

次は「赤とんぼ」です。日本の有名な作曲家山田耕筰によって作曲された郷愁あふれる作品です。およそ100年前、ヨーロッパへ留学していた際に作曲されました。日本の秋には、たくさんの赤とんぼを見つけることができます。日本人にとって赤とんぼとは、故郷での幼い頃を思い出させるシンボルなのです。

The third song is "Konpira-fune-fune," a very hilarious, traditional party song.

三曲目は「金毘羅船船」お酒の席で陽気に歌われます。

The last one is "Sakura Sakura." Sakura means cherry blossoms in Japanese. This song has about two hundred tradition. As Puccini uses this song in his opera, "Madam butterfly," you might be familiar with this tone. We perform Japanese traditional dance together.

最後の曲は「さくらさくら」です。200年程前から歌われております。プッチーニのオペラ「マダムバタフライ」の中にこのメロディーが出て来ますのでお聞きになった事のある方もいらっしゃると思います。日本の伝統的な踊りもお楽しみいただきます。

This evening we are very happy to have this opportunity to exchange chorus between Poland and Japan. Besides, we really appreciate your help. Thank you.

今晩は、お忙しいところ、ポーランドと日本の合唱の交流会をもてましたこと、そしてお力添えいただきました皆様に感謝したします。


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