ニュルンベルク公演 旅の報告 1998.10.17Sat. Sunny

6:30 モーニングコール 7:15 バンケットにて朝食
| 疲れているわりにはちょっと興奮しているので、朝からみんな元気です。バンケットにて、バイキング形式の朝食。朝からおしゃべりに花を咲かせながら、パンやフルーツ、ヨーグルトなどをたっぷりいただきました。 |
 ニュルンベルクのオペラ座 | <にわか写真家> 身支度を整えてから朝食を済ませ、早速お散歩へ。ホテルの周りから駅の周り、そしてお濠端へと足をのばしました。この日から毎朝1万歩の散歩を始めました。街の木々は色づき、石の文化が朝日を浴びています。散歩中に「あっ日本人だ。」と思い近づくと同じ団員だったりしますが、やはり朝の散歩は得した気分。旅行中はすべて団体行動なので、朝のこの時間だけは個人行動として、ガイドブック頼りにあっちこっちで写真を増やします。【明】 |
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8:25 正装で集合 | 今日は表敬訪問があるのでおめかしして集合。徒歩ですぐ近くにあるオペラ座へ。やはりヨーロッパ、前日の高崎よりずっと寒い。 |
9:00 合唱リハーサル 11:30 リハーサル終了 | オペラ座は改修工事らしく、この日がこけら落とし。まだ外にも中にも 準備の人が忙しく働いていました。ホールを見学してコーラスの練習室へ。キャストの紹介とごあいさつ。指揮者のクリステル・オップ(Christel Opp)さんは体格のいい女性で、性格もさばさばした感じでした。ソリストは3人とも 若い印象を受けました(テノールのソリストは欠席です)。ニュルンベルクと 当団の橋渡し役をしてくださった稲田さん、男声合唱代表のエーベルさん、そして指揮者オップさんのあいさつのあと、練習を開始しました。 その間に賛助団員は、男女別で市内観光へ。リハーサル後、その帰りを待ってオペラ座の前で、班別の写真を撮りました。晴れていて良かったですネ。 |
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12:00 昼食Bratwurst-Hausle | バスで旧市庁舎前のレストラン『ブラート・ヴルスト・ホイスレ』へ。焼き ソーセージの専門店で、1526年創業の老舗です。お酒は自粛願いました。 |
14:00 歓迎レセプション 旧市庁舎 45号室 Altes Rathaus
| もともと団代表が市役所へあいさつに伺うと申し出たのですが、ニュルンベルク市側が、なんと団員全員を招待し、レセプションを開催してくれました。 SPD党首、市議会議長のゲファルド・シェンフェルダー(Gebhard Schonfelder)さん、交通観光局長のミシェル・ウェーバーさん、SPD党員で議員歴13年のアイン・ブローシュさんらが歓迎してくれました。議長から「この旧市庁舎にみなさんをお招きできて光栄です。ここ数年、日本とは文化交流が深まっており、去年はN響とのコンサートが実現しました。ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』でこの地も世界中に知られるようになりました。2年後の950年祭にもマイスタージンガーを演りますので、ぜひお越しください。〈中略〉合唱団の皆さまに、市から記念品を用意しています。」とニュルンベルク市の紋章の入った織物が贈られました。(今は高崎市役所に飾られています。) そして当団長のあいさつ〈次のページ〉のあと、当団の副団長、市議会議員の小野里博さんが、高崎市長のメッセージを伝えました。そして高崎から持ってきた 折り鶴と、だるまをプレゼント。議長は大変喜んで「歌ってください!」とのリクエスト。響きの良い大広間でアカペラの赤とんぼを歌い、用意されたワインと軽食で楽しいひとときを過ごしました。交通観光局長のミシェル・ウェーバーさんは『日の丸』にちなんで赤い蝶ネクタイをしてきてくれました。 |
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| 聖母教会前の青空市場には、安くて新鮮なものばかり。 野菜や果物が多い。(日曜休み) この広場周辺にお土産屋さんやカフェテラスが並んでいます。 |
16:00 バスにてホテルへ 17:20 リハーサル
グスタフ・アドルフ記念教会Gustav-Adolf-Gedachtniskirche
| バスで演奏会場のグスタフ・アドルフ記念教会へ(20分の遅刻)。 オーケストラに4人のソリスト、そして男声合唱の「助っ人(T10名、B5名)」、役者がそろってのリハーサル。 石造りの重厚な教会(寒い!)。お互いの紹介が終わってレッスンへ。若いオーケストラ団員の中にはオップ先生の娘さんの姿も(そっくり!!)。団員は 自分の出番がくるまで、マンガを読んだり、リンゴをかじったり。日本とはだいぶ雰囲気が違いました。
グスタフ・アドルフ(30年戦争のスウェーデン国王、新教の英雄)記念教会座席数1000以上の中規模の教会。 この街はナチスの結党の地なので、第二次大戦で99%以上の建物破壊を経験しています。 もちろんこの教会も破壊され、瓦礫の中から使える部材ですべてを立て直しました。ドイツ中基本的には同じ考えで、壊れたら、その瓦礫を再利用しています。新しい部材は極力使わないそうですね。この教会は戦前2000席以上だったので、小さくなったのです。 |
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19:00 リハーサル終了 19:30 夕食Heilig Geist Spital (Spitalgasse 16) | リハーサルが終わり、バスでレストランへ。 ハイリヒガイストシュピタールで食事。ペグニッツ川の中洲にまたがる旧救済院の建物の1階にあり、田舎風のインテリアでローカル色が楽しめます。中は非常に広い。 |
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21:00 ホテルへ | バスの中でニュルンベルク市からのパンフレットが配られました。 明日は本番。お酒はほどほどに、という赤羽先生からの注意がありました(緊張して眠れないっ!)。 |
グスタフ・アドルフについて |
17世紀ドイツの地を舞台とした三十年戦争は、プロテスタント(新教)とカトリック(旧教)の間で起きた宗教上の戦いです。最初は地方レベルの教会の建設権などを巡っての争いでしたが、これが次第に大火になっていきました。この地方はハプスブルク家支配下の神聖ローマ帝国ですが、選帝侯といわれる地方レベルの支配者、そして帝国自由都市といわれる町などの既得権益確保の思惑などが絡み、次第に大がかりな戦争になっていったのです。ドイツの町はハプスブルク家に味方する旧教側と、その強い支配権に反発する新教側という形を呈するようになりました。やがて、この戦いはドイツ国内だけのものだけでなくなり、やはり様々な思惑を持つ近隣諸国の介入を招く国際戦争に発展したのです。 グスタフ・アドルフはスウェーデンの国王であり、そのような形で介入した勢力の一つです。当時圧倒的優位にあった旧教側の勢力拡大に危機を感じ、バルト海を渡り、ドイツ北部に上陸しました。そして旧教側の無敵の名将、あだ名を『甲冑の聖者』と呼ばれていたティリー将軍のテルシオという強固な方陣を、1631年9月『ブライテンフェルト会戦』において、新戦法で打ち破りドイツ国内を破竹の勢いで進みました。のちに『傭兵王』と呼ばれる旧教側のヴァレンシュタインと交戦し、1632年8月の『ニュルンベルクの戦い』では負けてしまい、1632年11月16日『リュッツェンの戦い』では戦には勝ちましたが、乱戦の中で彼は狙撃され戦死しています。 彼の死はますます戦争を泥沼化させることになっていき、戦いはこの後10年以上も続きます。フランスや スペインなども介入したこの一連の戦いで、ドイツの人口は三分の二にまで減り、100年は近代化が遅れることになったといわれています。 グスタフ・アドルフは野望こそありましたが、プロテスタント(新教)にとっては偉大なる勇者でした。 |
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 ニュルンベルクのホテルは、ニュルンベルク駅とオペラハウスの ちょうど中間「カールトンホテル」 駅の近くですごく便利ですよ。しかもお手ごろ価格。 ぜひ利用してくださいね。 |
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