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1998年10月22日(木)-7日目-

【基本ツアー】 帰路につく 添乗員はその子先生?!
ブダペスト[10:45発]→【ルフトハンザLH3487】→[12:30着]フランクフルト
フランクフルト[13:55発]→【ルフトハンザLH710】→《機内泊》
食事:昼・夕ともに機内食。

6:30 モーニングコール

・朝食

8:35 荷物持参し集合

8:45 ホテル出発

別れの朝【上野道昭】

ニュルンベルク第九演奏会の成功、ミュンヘン、ブダペストと6日間の旅は、希望を現実のものとした喜びを実感した旅でもありました。

7日目、10月22日は、コロナホテルの朝食を境に、我々基本ツアー組13名はひと足早い帰国の日です。今日でしばしの別れになります。

朝食のテーブルにて、「今日でお帰りですね。お世話になりました。次の練習日教会で会いましょう。」「お先に!良い旅でありますように!」等々のしばしの別れを惜しんだ時でもありました。帰り支度をしてフロントにて集合すると、オプション組の皆さまが見送りのため集まってくれていました。空港行きのバスに乗り込み、良い旅をお互いに祈りながら手を振り、別れを惜しみつつホテルをあとに出発しました。

バイバイ

にわか添乗員【赤羽その子】

「旅行社の添乗員さん2名はオプションツアー組に残り添乗するから、基本ツアー組の添乗をお願いします!」と「旅慣れているから」との理由で急遽13名もの添乗という大役を仰せつかってしまったその子でした。

かくして、コロナホテルのロビーで13名の航空チケットを渡され、空港行きのバスに乗り込みましたが、これが小さい頼りないバスだこと! 前日のリッチな気分のベンツ大型バスとの落差に帰国する淋しさも倍増しました。

空港にチェックインしたところ「Mさん夫妻のチケットが確認できません。ドイツでのトランジットの際に再確認してください。でも、ドイツに行けば大丈夫です。」と言われ皆、不安な思いのままブダペストを離陸しました。

フランクフルトに到着後、Mさん夫妻の航空券問題はあっけないほどすぐに解決し、一同ほっとしたのもつかの間、到着時間を大幅に遅れてしまっていたので、乗り継ぎ時間が数分しかなくて、「成田行きに乗り遅れたら大変!」と皆で広い空港内を走りました。お土産を買おうと思っていた人、フォリントの両替が済んでいなかった人などなど、思惑は様々で、大慌てのうちにルフトハンザ機に乗り込みました。

空の旅は快適に過ごすことができ、成田にも予定通りの時間に着きました。到着ロビーで旅行社のおにーさんと落ち合い、専用バスにて高崎へ向かいました。三芳で休憩を取った後、高崎駅東口で解散し、楽しかったニュルンベルク公演の思い出を胸に家路に着きました。

7日目〔オプショナルツアー〕

【オプショナルツアー】 ブダペスト[9:45発] →ドナウ川クルーズ

ドナウの旅人となった団員たち。ハンガリー・スロヴァキア・オーストリアの境を身に感じていました

〈オプショナルツアー組〉

【国会議事堂】も見え、マルギット島は紅葉に包まれていた。
由緒ある数々の大きな橋の下を進む船。2階席は若い人ばかり。
風をあびて船上の記念写真を楽しむ。
【センテンドレ】で下船。
物価の安いステキな小さな町
【ヴィシュクラード(ドナウの砦)】
【エステルゴムの大聖堂】
この向こうはドナウを挟んでスロヴァキア

→[夜]ウィーン
国立歌劇場(オペラハウス)でオペラ鑑賞『愛の妙薬(ドニゼッティ)』
《ウィーン泊》

7:00 モーニングコール

7:00 朝食

8:00 荷物回収

9:30 ホテル出発

10:00 船出

ハンガリー滞在中も天候に恵まれ、ドナウの川の流れも穏やかでした。ドナウの宝石をたんのうした一行は、中世のたたずまいを もう一度目に焼きつけ、美しい都に別れを 告げました。約300mの川幅いっぱいに豊かに流れるドナウ。たゆとう水面に水鳥が群れ遊んでいました。国会議事堂

マルギット島(Margit Sziget)の中州あたりから、岸辺のポプラや柳の冬枯れたようなセピア色の風景が続くのは、スモッグの影響かもしれ ません。風をきって進む船の2階に陣取っていた若者たち(?)は、寒さもなんのその、大パノラマに歓声を上げていました。船旅もいいわね
11:40 センテンドレ着・下船14世紀セルビア人によって形成された。ブラゴヴェシュテンスカ教会のある中央広場に集合後、自由散策となる。センテンドレ(Szentendre)は、中央広場を中心に街が形成されています。フォリントはハンガリーでしか使えないとのことで、残りの銭を何とか減らそうと、おみやげの買い物や見学にとみんな散っていきました。大柄な若者が入口で客引きをしていた店に、トイレを借りに入ると、「いらっしゃいませ。トイレは3Fに1つだけ」と流暢な日本語。みんな連なって行くと、「正面のボタンを押してください。もう一度押すと水が止まります」と上手い日本語で書いてありました。ハンガリー国であることを忘れた一瞬。この青年の案内でこの後、私と夏子さんは思わぬ冒険をしました。
13:00 ヴィシェグラードブダペストから40㎞、ドナウ川が直角に曲がっている辺り。15世紀、地上の楽園と呼ばれた。
13:25 エステルゴム(Esztergom)

ハンガリー王朝の始まった町です。11~13世紀頃栄えました。丘の上のエステルゴム大聖堂(Szent Adalbert f?szekesegyhaz)は、リストの曲が初演された場所でもあります。エステルゴム大聖堂

途中バスの中から、コウノトリが巣を 作っている電柱が見えました。ツバメのように家の近くに巣を作るのだそうです。ハンガリーではコウノトリが減っていて、子供の数も少なくなったそうです。
高速道に入る。アウトバーンのサービスエリアで小休止。昼食はホテルより出たお弁当。ハンバーガー3個、バナナ、オレンジ2個、ジュース2本、軽い夕食も兼ねているのか量の多さに驚きました。分けて食べたり、早く食べたり、残したり…。
16:25 オーストリア国境通過国境近くはトラックの長蛇の列、麻薬取調べが厳重で、いつも7~8時間当たり前だそうです。我々一行は、簡単に通過できました。国境近くの空は青く澄み、果てしなく続く緑の畑。空港近く飛来するジェット機の美しい飛行機雲を幾筋も見ました。西の空が夕焼けに染まる頃、遠くかすかに街が見え始めました。ウィーンはすぐそこに。文明が進んだ今日もなお、国境は民族の醜い争いが絶えない。平和であることの意味をかみしめた旅でもありました。

17:45~ ホテル着、チェックイン

ペンタ・ルネッサンス

Vien Penta Renaissance Hotel

Ungergasse 60, A-1030
到着が遅れれば、オペラ組は着替えの時間がないかもしれない、との説明でしたので、バスが市街地に入ると一斉に女性陣が顔の造作を直し始めました。「アーラ、見てたのネ。」、「オテモヤンになっちゃった。」、ドラキュラのお口等々、オヤ! カーニバルに?着飾った大和撫子

19:10 ウィーン国立オペラ劇場

《オプション》『愛の妙薬』鑑賞。
1869年に開幕。戦後はカール・ベーム指揮による『フィデリオ』で再開しました。この由緒あるオペラ劇場の重厚で華やいだ空間にいる幸せ。素晴らしい熱演。慣れている人は余裕で、新人はウロウロと、皆各々に音楽の都ウィーン最初のすてきな夜を過ごしたのでした。
22:40 中華『青島Ⅱ』飯店オペラ終了後、自由行動組と合流 して、おそい夕食。空きっ腹に出されたものは何でも美味しく感じました。
23:50 ホテル着そのまま、ウィーンの森の夢の中へ。

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