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1998年10月23日(金)-8日目-

【基本】帰国/【オプション】ウィーン

【基本ツアー】 帰国→[7:55着]成田→【大型バス】→[13:00頃着]高崎駅東口  食事:朝は機内食【オプショナルツアー】 [終日]ウィーン市内観光

リポーター若林加代子

7:30 モーニングコール
8:00 朝食
9:00 バスにてホテルを出発
9:30 シェーンブルン宮殿
(Schlos Schonbrunn)

16世紀半ばにレオポルトⅠ世によって 建てられ、後にカール6世、マリア・テレジアによって拡張されました。

【シェーンブルン宮殿】
【ベルヴェデーレ宮殿上宮
(19・20世紀美術館)】

運転手:ドラガン
ガイド:誠子・クリメック

11:05 ベルベデーレ宮殿
(Schlos Belvedere)

オイゲン公の夏の離宮。上宮(19・20世紀美術館)と下宮が向かい合うというユニークな宮殿。庭も素晴らしい。


広い裏庭を歩き、宮殿に着きました。分刻みで入場時刻が決められていました。見学の途中、2号車のガイド、誠子・クリメックさんの希望で、宮殿内で『赤とんぼ』を歌いました。とてもよく響いたので、1号車の人たちの耳にも届いて羨ましがっていたという噂も…。

マリーアントワネットが育ったというこの宮殿は、とても大きく豪華で驚きましたが、庭に出てまたびっくり。宮殿よりもさらに大きく、思わずため息の出てしまうような美しい庭園でした。外国人男性が写真を撮ろうと、芝生の中に入ると職員が「ピピピピピーッ」と笛を鳴らして注意していました。管理も厳しい!

時間がなかったので、写真を撮ったり美術館に入ったりしていました。天気が良く、気持ち良かったのですが、日陰は少し寒く秋の気配を感じました。

11:35 分離派会館(Secession)

クリムトが、閉鎖的なウィーンの芸術協会と決別して、分離派を結成し、1898年建立。

【分離派会館(セセッシオン)】
この地下にはクリムト作の壁画が広がる。
これはベートーヴェンの『第九』が題材になっている。
クリムトの理解は難しいかもしれないが、第九が好きならこの壁画には感動を覚えるだろう。
ウィーン最大の市場の隣。
『黄金のキャベツ』と呼ばれる金色の冠をかぶった建物は、私たちの好奇心をかき立ててくれましたが、芸術のことに疎い私には、壁画を見ても意味がよくわかりませんでした。地下室の壁画『ベートーヴェン・フリーズ』は、ベートーヴェンの交響曲第九番『歓喜の歌』を基にしてクリムトが描いたものです。またクリムトは、日本が大好きで応接間に 仏壇をおいて、机の代わりに使っていたそうです。その仏壇も展示してありました。 クリムトってセンスいいのかしら…。

12:15 市庁舎地下で昼食

【市庁舎】にて昼食、ウィンナーシュニッツェルがおいしかった。

昼食は、市役所の地下「ラートハウスケラー(Rathauskeller)」でとりました。団子のスープ、ウィンナーシュニッツェル(子牛のカツレツ)等、オーストリアの郷土料理を味わうことができました。そして一部の人にはデザートにザッハトルテ。とてもおいしくて感激しました。

食事を終えると、市庁舎前の広場へ。とそこで目に付いたのが、外壁の垂れ幕『24』、何の数字だろう?と気になってガイドさんに尋ねてみると、「ウィーン銀行は、24時間いつでも換金できますと言う意味ですよ。」と言われました。なぁーんだ。

14:05 ベートーヴェン記念館
(Pasqualatihaus)


引越の多かったベートーヴェンが最も気に入っていたという部屋。彼の使用していたピアノやラブレターが展示してありました。

【パスクァラティハウス(ベートーヴェン記念館)】所蔵のピアノ(ここで気がついた。ベートーヴェンの引っ越した家々にはピアノが残されている。当時ピアノは改良が進み、鍵盤が新作ごとに増えていた。ベートーヴェンは新しい音を使う曲を作曲していた。つまりベートーヴェンは、声はほとんど聞こえなかったが、音は聞こえていたかもしれないということだ。)

市役所から5分歩いて、記念館へ行きました。狭い螺旋階段を上っていかなければなりません。同じようなところをぐるぐる 回っていくので、目が回りそうで上りづらかったですね。

2号車のガイドさん、カメラマンの井田さんに向かって「ベートーヴェンにそっくりですね。お孫さんですか? おじいちゃんに会えてよかったですね。」 「…」 確かに髪型は似ています。井田さんもまんざらではないご様子でした。

15:00 シュテファン寺院
(Stephansdom)

1147年建立。14世紀にハプスブルク家のルドルフ4世の手で、ゴシック様式の大教会に生まれ変わりました。中世の衣装を着ている人がいました。

【シュテファン寺院】外観と北の塔からの景色ババスの中から観光客用の馬車がいっぱい停まっているのが見えました。馬だ! と喜んでいましたが、バスから降りると馬糞の臭いが…、早く行こう。 教会の中に入ると、観光客はたくさんいるのに、とても静かで厳粛な気持ちになりました。ふと隅の方を見ると、年老いた女性がお祈りをしていました。私が立ち去るまで身動き一つしなかったおばあさん、何をお祈りしていたのでしょう。

北の塔にはエレベーターがあると聞いたので数名で昇ってみました。子供たちもいたぎゅう ぎゅうのエレベーターはあっという間に塔の上に。そこからは快晴の空のもとウィーン市街地が見渡せ、大聖堂の陶器の屋根にはハプスブルク の鷲が形取られていました。【明】

【国連都市】

16:35 中央墓地(Zentralfriedhof)

ベートーヴェンをはじめ、ブラームス、ヨハン・シュトラウス、シューベルトなど、著名な音楽家達が眠っています。

【中央墓地】は、傾いた日差しの中、木の葉が舞い散る景色の中。
『第三の男』のラストシーンに重なった。

日本のお墓のイメージとは、全く違って芸術的で落ち着きのある霊園でした。ウィーンの区画整理に 伴い、市内各地から墓地が移転・集団化されました。それぞれの音楽家が眠るお墓の前で記念撮影。石井さんはベートーヴェンのお墓にお花を供えていました。秋の陽の傾きかけている墓地の通りには、落葉が舞い『第三の男』の1シーンを思い出す人も多かったのではないでしょうか。

17:35 免税店『WALZ』

日本で待っている家族や友人のためにおみやげをたくさん買っていた人もいました。レジでの免税手続きに手間取り、予定を大幅にオーバーしてしまいました。またおみやげ屋さんでは買わずに、オペラ座すぐそばということもあって、地元の商店でおみやげになるものを買った人もいたようです。私はすぐ向かいのスーパーマーケットでワインを買いました。とっても 安かったし、なにしろ普通の生活に興味がありましたからね。商品をかごに入れて、レジで自分の袋に入れます。袋の希望者には各サイズ売ってくれます。トレイやラップを使ったものはありませんでした。【明】

20:00 夕食(Griechenbeisel)

『グリーヒェンバイズル』

ウィーン最古の建物(13世紀)。開業は15世紀。ベートーヴェンやシューベルトをはじめ、多くの著名人がこの店の常連でした。壁のベートーヴェンのサイン見ましたか?


中央左下にベートーヴェン 右上には田村正和

【グリーヒェンバイスル】
ベートーヴェンが通っていたレストランで夕食。
最後はみんなでドイツ民謡を歌った
(レストランのボーイも歌っていた)。
サインの間の壁にはベートーヴェンのサイン。
そばには田村正和のサインも。
《ウィーン泊》

この旅の最後の夕食です。1号車の方では、有阪さんや田浦さん、塚越さん達がすてきな歌声を披露してくれました。一方2号車の部屋では、自己紹介も兼ねて、旅の感想を一言ずつ発表しました。一人一人のスピーチは結構長かったのですが、なぜか料理はちょうど良くそれにあわせて出てきました。日本と 違ってのんびりしていますからね。最後に赤羽先生の指揮のもと全員で『わかれ』、『赤とんぼ』を歌いました。働きながら『わかれ』を口ずさんでいた店員さんと目が合って思わず微笑んでしまいました。音楽は言葉の違いをのり越えて、人と人との心を通わせるものなんだなぁと思いました。

ホテルの位置

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