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1998年10月19日(月)-4日目-

リポーター小野里 明

7:30 モーニングコール

8:30 朝食

9:30 バスにて出発

11:10 ホリダウのP.A.で休憩

今日は曇り。日本で待つ団員へのお土産のお菓子を駅で買いました。

アウトバーン9号線の途中SAでトイレ休憩しました。

ミュンヘンに近づくと広いホップ畑(ホップって棚で栽培しているのね。)や街路樹が紅葉しているのが見えました。この日の行程は、夕方の飛行機だけが確定しているだけで流動的でした。
ミュンヘン市街地(Munchen)自動車エンジンのピストンの形をしたBMW本社と博物館、オリンピック スタジアムを車窓見学しました。ミュンヘン周辺は自動車メーカーの本社がいくつもあり、ドイツ自動車産業の中心地です。
12:00 昼食(~13:30)ガイド:佐々木・大田
マリーエン広場、新市庁舎

オクトーバーフェスト会場のテレージエンビーゼ(Theresien-Wiese)脇のビアホールで昼食です。オクトーバーフェストって、世界最大のビール祭りです。この年は、800万人もお客が来たそうです。来るお客の数も飲んだビールの数もすごいと思う。お祭りの時の宿はほとんど取れないとのこと。

昼食はオクトーバーフェスト会場隣接のビアホール
数種類のビール飲み比べが最高!
ナチ時代のゲシュタポ(秘密警察)総本山の跡や、灯の消えない第二次大戦の慰霊塔(Obelisk)を車窓見学しました。ミュンヘン市の環状線をバスは走り、イーザル門(Isartor)や中央市場(Viktualien-Markt)>が窓から見え、マクシミリアン通り(Maximilian-Str.)を経てバイエルン州立劇場(National-Theater)前でバスを降りました。
もうここは、バイエルン州都のミュンヘン中心地、活気があります。みんなで新市庁舎(Neues-Rathaus)前のマリエン広場(Marien-platz.)まで歩きました。とっても賑やかでした。写真を撮ったり、近くのペーター教会(St. Peter)へ散策に行ったりしました。ミュンヘン新市庁舎と1号車の皆さん
14:30 三越でお買い物(~15:30)

徒歩で三越へ。地下から2階までお土産でいっぱい。お客も店員も日本人ばかりなので、日本で買物しているみたいです。値段はさほど日本と変わらない。ワインとかは高いのかなぁ。やはり目ざとい人がいて、近所のおみやげ屋でいろいろ買い込んだらしい。その手があったか!紳士諸氏は、店の外でタバコをふかしながら、三越の向かいにある有名なビアホール『ホーフブロイハウス』を見上げていました。

ホーフブロイハウスに入りたかった紳士諸氏も。劇場の裏通りへ歩き、バスに乗りました。

15:45 市街地を出発

16:10 ニンフェンブルク城
広大な敷地の中に、幅がわからないくらい広い白亜の建物。ヴィッテルスバッハ家の夏の宮殿、ニンフェンブルク城(Schlos Nymphenburg)です。
あいにくの曇り空に加えて、お堀(?)の水が全然ない。ぬかるみにアヒルがペタペタ歩いていました。ガイドブックの快晴で花の咲く景色とは対称的に、暗い景色でした。この日のニンフェンブルク城
17:30 ミュンヘン空港到着ミュンヘン空港へ着く直前に、1号車のみんなは小銭を田中清巳さんの帽子で集めて、ニュルンベルクから今までずっとお世話になった運転手ピーターさんにあげました。(感激!)搭乗待ちの間、幕の内弁当が配られ久しぶりのご飯になりました。搭乗口前で食べましたが量が多く、機内に持ち込んだ人もいました。残ったマルクでビールなどの飲み物やおみやげを買う人もいました。このお弁当を見事食べることができた人は、ドイツのゴミ箱(捨て口が3つ)に挑戦することができました。(どこに入れればいいの?)1号車の陽気な運転手ピーター
19:10 ミュンヘン空港離陸
ルフトハンザLH3414
飛行機の席がまとめてとれなくて、一部の人がビジネスクラスに行ってしまうハプニングも。わずか1時間ばかりのフライトでしたが、なんと軽食が出ました。お弁当でおなかいっぱいだよ。ビジネスクラス(飛行機の一番前)の人は、離陸直前まで操縦席の窓を通して滑走路が見えていたそうです。ビジネスクラスとエコノミークラスの差ってなんだったのでしょうか?ミュンヘン空港を離陸するとすてきな夜景が眼下に広がっていました。

20:25 ハンガリー着陸

運転手:シャンドー

ガイド:ガルフィー
ハンガリーに到着。早速ハプニング、なんとお弁当は検疫で持ち込めないとのこと。急いで食べる人やあきらめて捨てる人も。入国手続き後、両替所に行列ができました。ガイドブックや銀行情報よりレートがかなり良かったです。幾つかの両替所は紙幣が不足してしまいました。

21:30 コロナホテル到着

Korona Hotel

14 Kecskemet utca, Budapest,
雨の夜、バスはブダペスト市街地へ。携帯電話などの看板も見えました。ホテルに到着するとスーツケースがなかなか部屋に届かず疲れました。

ハンガリーの簡単な歴史

ハンガリーには、もともとローマ人が住んでいました。その後ウラル山脈の東からマジャール人が移動してきて、カルパケア盆地を征服。フン族に似ていることから、ラテン語のHUN=ハンガリーと言われるようになりました。ハンガリー人=マジャール人、ハンガリー語はマジャール語で、隣接国と全く違った言語を有しています。

西暦1000年イシュトバーンが建国の王となりました。その後の歴史は、オスマントルコの占領と、オーストリア・ハプスブルグ家の支配下で200年間も植民地化されました。南北に悠然と流れる母なるドナウ川を有する美しい国の歴史はまた、何世紀にもわたる民族の抑圧との歴史でもあります。

バスの中で聞いたハンガリーの戦後史

第一次大戦で領土が4カ国に分散し、今もルーマニアに250万人取り残されています。第二次大戦後も、ロシアの占領下で自由はありませんでした。1956年自由を求めて大国ロシアに挑みましたが、250両の戦車の前にお金も武器もない若者の沢山の血が流されました。けれども民族としての誇りを捨てず、10年もの苦しい戦いが続きました。完全な自由を手中にしたのは1989年、つい何年か前のことです。

〈15分程のガイドの説明が終わると、バスの中はシーンとしていました。〉

「皆さーん!寝てますかー?」突然ガイドさんの声。寝ているどころかみんな、彼の話に聞き入っていました。ハンガリーの知識もなく参加した私は、辿ってきた歴史と民族の運命に目頭を熱くしました。独特の抑揚で淡々と語るガルフィーさん。時に悲しみをたたえ、怒りをこらえて。バスの中はみんな私と同じ気持ちでした。最後に拍手が起こったのでした。

おみやげを買うのも楽しみの一つ。
ミュンヘンではビアホール『ホーフブロイハウス』の向かいにある三越さんでした。
団員の動きを見ていると旅行中に進化していくのがわかるのです。(笑)
旅行社の紹介のおみやげ屋さんは手数料の絡みもあり、三越さんになると売っているものも高級です。
慣れてきた団員から、付近の違うお店に入ってしまいます。
いろいろ安くておもしろいものを買ってきます。
ついでにおつまみやおやつを買ってくる団員も増えてきます。
ガイドブックや添乗員が紹介したお店以外のほうが、その土地に密着したおみやげが買えるかも。
もちろん、グループで買いに行きましょうネ。

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