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1998年10月20日(火)-5日目-

リポーター牧野千鶴子

7:00 モーニングコール

7:30 朝食

8:30 ホテルを出発

1号車ガイド ガルフィーさん

2号車ガイド サライさん
昨夜空路ハンガリー唯一のフェリヘジ空港に到着した私たちを待ち受けて くれていたガイドの達者な日本語で、ハンガリー語のお勉強をしていた一行 です。では、ご一緒に…、ヨーレゲルト(おはようございます)、ヨーナポート (こんにちは)、ヨーエシュテート(こんばんは)、クッスヌム(ありがとう)、ケサノム?…などと賑やかな一行を乗せて、ハンガリー3日間の旅が始まりました。
自由橋(Szabadsag Hid)建国1000年を祝って架けられ、フランツ・ヨーゼフ皇帝が自ら打った「FJ」のイニシャル入りディテールが今も残されています。←ホテルからも近い自由橋
エリザベート橋(Erzsebet Hid)皇后の名を取った優美な姿は、第二次大戦で徹底的な爆撃を受け、私たちに、当時の姿を見せることはできません。昔の姿は忍べないエリザベート橋→
鎖橋(Szechenyilanc Hid)ハプスブルグの力の前に屈した年に 完成。橋の両サイドに立つ4頭のライオン像は、第二次大戦、1956年の独立 戦争と無言で時代を見つめ続けてきました。今は自由と平和を手にした市民の姿をドナウに映して、夜にはライトアップされその雄姿を浮かび上がらせています。両脇にライオン像が鎮座するくさり橋

自由橋、エリザベート橋を車窓より眺めながら、ドナウに架かる8本の橋の中で一番人気の鎖橋を渡ります。

※「今渡っているくさり橋、あまりくさりません(ガイドのガルフィーさん)。」

王宮の丘(Var Hegy)悠久の昔から平地はフィレンツェ、海辺はベニス、丘陵地はブダ、とその美しさを魅了してきました。そのブダの王宮は、ドナウの宝石箱とも呼ばれ、マーチャーシュ王時代にいち早くルネッサンス文化を取り入れ栄えましたが、世界大戦で破壊されました。

王宮は2度の世界大戦で徹底的に破壊され、今の姿になったのは1950年代になってから。王宮の内部を見学することはできませんでしたが、今はナショナルギャラリーやルドヴィック博物館などになっています。ドナウ川に面してそびえる王宮の丘

ベートーヴェンがコンサートを開いた王宮劇場や多くの建物は、以前と同じように専門家の手によって石を探し復元されていますが、当時の弾痕が生々しく残っている建物もあり、戦争というものの無惨さを見た思いがしました。
漁夫の砦(Halaszbastya)漁夫の砦から眺めた大パノラマに歓声が…。ハンガリーでは恋人同士のファーストキッス№1の場所とのことです。白い外壁にエレガントなレース模様の刻まれた建築は、同じ作者がマーチャーシュ教会とのコントラストを考えた見事なものです。この上にもすばらしいパノラマstyle='letter-spacing:.3pt'>が待っていました。
漁夫の砦
王宮から含めて、ブダペストは最近テレビ番組でも紹介されるのね。
さすが、ドナウの真珠 ステキ、すばらしい 夢の世界。
【王宮の丘】、【漁夫の砦】

マーチャーシュ教会

(聖処女マリア教会)

(Matyas templom)

1015年、聖イシュトバーン1世によって聖処女マリア教会建立。ルネッサンス 文化を取り入れ、栄華を極めたマーチャーシュ王の結婚式のために、「花嫁の門」「南の塔」を建てたことからマーチャーシュ教会と呼ぶようになりました。

1987年、ブダの王宮地、旧市街地と ドナウ沿岸の景観、国会議事堂等の 歴史的・建築史的価値に対し世界文化遺産として指定されました。

マーチャーシュ教会ハンガリーをそのまま刻み 込んだ歴史の証人といわれ、 高さ80mの尖塔を青く澄みきった空に突き刺すかのように、荘厳な姿で我々を迎えてくれました。建立以来、国と共に栄枯盛衰を繰り返しつつ引き継がれ、中世のロマネスク・ゴシック様式の装飾の美、色彩の素晴らしさに我を忘れて見入っていました。

【王宮からの眺め】は筆舌しがたい。
目に飛び込むすべてのもの、
日本には紹介しきれていないのが残念。
またこの教会の鮮やかなジョルナイ陶器の屋根が、斜交いにあるホテルのガラスに映え、薄くゆっくり流れる雲と重なり合い、美しい映像を結んでいました。

音楽史博物館(Zenetorteneti Muzeum)

王宮劇場(入口のレリーフはベートーヴェン)


10:45 バスにて市内観光

11:00 英雄広場  〈記念撮影〉

中世のロマンを掻き立てるブダの王宮は、深みゆく秋の中にあり、とちの木、マロニエ越しに華麗な騎士の幻影を見た気がしました。

王宮の丘で中世の夢と近世の現実をしっかりと心のポケットに収めた一行は、しばし車中の人となりました。バスの中ではもっぱらガイドさんの話に耳を傾け、ハンガリーファンも倍増。何しろこの民族は同じアジアの血が流れているのですから。血が騒ぐメロディもあったりして…。音楽史博物館英雄広場で記念写真

11:20 みやげ店でお買い物

(Folkant Souvenir)
イシュトヴァン 大聖堂脇のみやげ店になだれ込む一群。キャビアなどの高級品を求めた人もいましたが、民芸品のレース類、刺しゅう、人形、ワイン等に人気が集中していました。日本語の商品名もあった??

12:20 イシュトヴァン大聖堂

(Szt. Istvan bazilika)
8,000人収容可の大聖堂。
神秘と荘厳な雰囲気にとけ込んでいった。
収容人員8,000人というブダペスト1番の大聖堂は、54年の歳月を かけて建立されたもの。50種類の大理石が使われていることも特筆すべきことでしょう。現在は結婚式にも使われ、アヴェマリアの歌が響きわたるそうです。1号車、ソプラノの方々がグノー、シューベルトの  アヴェマリアを美しく歌っているのが印象的でした。響きはばっちり。 イシュトヴァン大聖堂

13:00 昼食(ホテルマーチャーシュ)

レストランHacherDschorにて[メニュー] バターライス、パイ包み焼き ホワイトソース添え、ニョッキ、鶏肉、ケチャップソース、サラダ、ケーキ、飲物
西欧の食事はゆっくり。野菜不足も限界…、と思っていたら、出てきた生野菜。大皿テンコモリのレタス。ギョ!! 兎じゃないって。楽団つきで『里の秋』、『荒城の月』と店内大合唱。『ツィゴイネルワイゼン』をリクエストした森村さんもご満悦でした。

14:30 ゲレルトの丘

15:00 ホテルに戻る 自由行動

ゲレルト(Gellert)温泉顛末記

ハンガリーは日本同様温泉の宝庫。ゲレルト温泉はホテルも有し、建物はアールヌーボーの傑作作品。温泉は水着着用。若き淑女たちは、金太郎さんのようなサロンエプロンをかけ、大はしゃぎであったとか。勿論おしりは×××。湯煙で全貌は??「…うーん残念。」とは年季のいった紳士諸氏。
17:00 夕食 ホテル内にて[メニュー] コンソメスープ、パン、牛肉  ステーキ、コーヒー、ケーキ、 ジャガイモ グリーンピース添え、ドリンク各種つい先ほどまで昼食をとっていたので、みんな満腹。厨房のスタッフに申し訳なく、無理に口の中に押し込んだ人も。ほとんどの人がいーっぱい残しました。シェフの皆様ごめんなさい。でもスープはとても美味しうございました。

18:00 オペラ鑑賞《オプション》

ホテルロビー集合

19:00 「オテロ」鑑賞1884年建立。屋根にはベートーヴェン、モーツァルト、ハイドンのレリーフ。入口にはリストとエルゲルの像。
高度な芸術はもとよりエレガントさ、しなやかさ、幕間での語らいといった 社交性も求めた西洋人。今宵わが紳士淑女たちは、みまごうばかりのドレスアップで。グスタフ・マーラーがタクトを振ったことでも有名なオペラハウス。荘厳な雰囲気の中オテロ鑑賞。

[午後]ショッピング(ヴァーツィ通り)とゲレルト温泉に分かれた。

僕は温泉でだいぶ泳いだ。女の子たちは金太郎みたいな格好になってサウナとか。(言っちゃダメだった?)

[夜]オペラ鑑賞(『オテロ(ヴェルディ)』) 《ブダペスト泊》

♪祐美ちゃんのオペラ座リポート?

美しくライトアップされたオペラ座のこの日のプログラムはヴェルディの『オテロ』。豪華な造りに似合わず木でできた椅子はかたくてお尻がイタイ…。でも幕間では寒いのにムリをしてバルコニーへ出たかいがあって、ロマンティックに輝く星空のなんとステキなこと! シャンパンで 乾杯して、夢のようなひとときを過ごしました。

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